抗体医薬研究・非臨床安全性

MABELによる初回投与量:抗体医薬でNOAELだけに頼らない理由

新しい抗体医薬を初めて人に投与するとき、最初の1回目をどれくらいの量にするか。低分子の薬なら、動物で毒性が出なかった量を出発点にします。そこから体表面積で人の量へ直し、安全側に大きく余裕を取って決める、という道すじです(NOAELからHED換算・MRSDへ をご覧ください)。

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MABELによる初回投与量:抗体医薬でNOAELだけに頼らない理由

ただ、効果が強く、標的への敏感さが人と動物で違うタイプの抗体になると、この「毒性が出なかった量」を起点にする発想だけでは危ないことがあります。動物で毒性が出なかったからといって、人でも同じ量まで安全とは限りません。むしろ、はたらきが強く出る薬ほど、毒性が見え始めるより先に、薬理作用そのものが人で暴走することがあるのです。

ここで手がかりになるのが MABEL という考え方です。毒性が出なかった量ではなく、「薬のはたらきが、ごくわずかに出始めると見込まれる量」を基準に置きます。受容体占有率細胞表面などの受容体のうち、薬に結合されて埋まっている割合。標的結合の直接的な指標。や効力から見積もったこの値は、NOAEL無毒性量。毒性試験で有害な影響が認められなかった最大の用量。PDE算出の出発点になる。起点の値よりずっと小さくなることも珍しくありません。抗体医薬で問われるのは、毒性が見えるかどうかより前に、はたらきがどこから立ち上がるか。その一点なのです。

この記事の要点
  • 効果が強く種差のある抗体では、NOAEL起点だけだと初回投与量が過大になりえます。
  • MABELは受容体占有率や効力から「はたらきが立ち上がる手前」を見積もる考え方です。
  • 実務ではNOAEL起点のMRSDとMABELを並べ、より低い方を初回量の根拠に採ります。
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きっかけはTGN1412:NOAELが高くても安全とは限らない

MABEL が広く語られるようになった直接のきっかけは、2006年にイギリスで起きた TGN1412初回ヒト投与でサイトカイン放出の重篤な反応を起こした抗CD28抗体で、MABEL普及の契機。抗CD28抗体初回ヒト投与でサイトカイン放出の重篤な反応を起こした抗CD28抗体で、MABEL普及の契機。、免疫のT細胞を活性化T細胞を抗原刺激や人工的な刺激試薬で活性化し、増殖・機能発揮できる状態に誘導する操作。する薬)という抗体の重い事故です。

この薬は、サルの反復投与毒性試験薬を繰り返し与え、どの臓器がどの量から傷むか、回復するかを調べる中核の毒性試験。で NOAEL(No Observed Adverse Effect Level =毒性が出なかった最高用量)が高く出ていました。「かなりの量まで毒性は出ない」と見えていたのです。ところが健康な志願者に投与したところ、それよりはるかに低い量で、免疫の信号物質(サイトカイン細胞が放出する免疫の情報伝達物質。細胞治療では効果と安全性のリードアウトになる。)が一気に放出される激しい全身反応(サイトカイン放出)が起き、被験者が重篤な状態に陥りました。

原因の一つとされるのが、標的への敏感さが人とサルで大きく違っていたことです。サルの試験では、人で起きる強い免疫反応を読み取れませんでした。事故後の検討では、当時投与された初回量は、人の受容体をかなりの割合で占めてしまう量だったと見積もられています。つまり、動物で「毒性が出なかった」ことを信じても、そもそも人での効き方が動物と違えば、その安全マージンは当てにならない、という教訓が残りました。

項目TGN1412で起きたこと
動物データサルでNOAELは高い(毒性が出ない量が大きい)
人での実際ずっと低い量で激しいサイトカイン放出免疫が短時間で信号物質を大量に放出し、発熱・血圧低下・臓器障害へ進む激しい反応。
ずれの原因標的(CD28)への反応性が人とサルで大きく違う
見落とし「毒性が出なかった量」は、人での薬理作用の強さを保証しない
POINT

NOAELは「毒性が出なかった量」であって、「はたらきが弱い量」ではありません。効果が強く種差のある薬では、毒性が見える前に薬理作用が人で暴走しうる——この盲点を埋めるために生まれたのがMABELです。

この事故を受けて、ヨーロッパの EMA(欧州医薬品庁)は2007年に、初めて人に投与する試験のリスクを下げるためのガイドラインを出しました(2017年に改訂)。そこで打ち出されたのが MABEL薬の作用がごくわずかに出始めると見込む用量で、抗体など高リスク薬の初回量設計に使う。 です。⁠NOAELが高く出ていても、それだけを信じて初回量を決めるのは危うい ——これが出発点になった考え方です。

MABELとは:はたらきが立ち上がる量を基準にする

MABEL は Minimal Anticipated Biological Effect Level薬の作用がごくわずかに出始めると見込む用量で、抗体など高リスク薬の初回量設計に使う。 の略で、日本語では「最小予測生物学的作用量薬の作用がごくわずかに出始めると見込む用量で、抗体など高リスク薬の初回量設計に使う。」。かみくだくと「薬のはたらきが、ごくわずかに出始めると見込まれる、いちばん低い曝露量」です。

NOAEL 起点の発想が「毒性の側から上限を引く」ものだったのに対し、MABEL は「薬理作用の側から下限をとらえる」発想です。どこから効き始めるかを先に見積もり、その立ち上がりよりさらに手前に初回量を置きます。効果が立ち上がるより前で試し始めれば、人での反応が予想外に強くても、大きく踏み外しにくいという考えです。

見積もりには、毒性試験の数字ではなく、薬理と結合の情報を総合します。代表的には次のようなものです。

使う情報何を見るか
標的への結合親和性抗体と抗原の結合の強さのことで、解離定数KDが小さいほど強く結合する。抗体が標的にどれだけ強く付くか(KDなど)
受容体占有率ある曝露量で標的の何割を占めるか
効力(in vitro生きた動物の体外で、試験管やシャーレなどを用いて細胞・組織・分子レベルで行う実験を指す用語。ヒト細胞を使った試験で効果が出始める濃度
標的の量・分布体内に標的がどれだけ・どこにあるか
曝露と反応の関係濃度が上がると効果がどう増えるか

ポイントは、これらをできるだけ ヒト由来の材料(ヒト細胞・ヒト標的) で測ることです。TGN1412 の教訓が「動物と人の薬理の違い」だった以上、人に近いデータで効力を見積もらなければ、同じ落とし穴にはまります。⁠MABELは、薬理の種差そのものを見積もりの中に織り込む手法 だと言えます。

受容体占有率で見積もる:どこまで占めさせるか

MABEL を数字にする代表的なやり方が、受容体占有率(標的の何割に薬が結合しているか)を手がかりにする方法です。

考え方はこうです。標的への結合の強さ(親和性抗体が抗原に結合する強さ。解離定数などで表し、値が小さいほど強く結合することを示す。)と、体内での薬の濃度が分かれば、ある投与量で標的の何割が占められるかを見積もれます。効果が強く出る薬では、標的をほんの少し占めただけで反応が立ち上がることもあります。そこで、初回量では占有率をごく低いところ(たとえば一桁パーセント程度)に抑える、という置き方が採られることがあります。占有率を低く保てば、薬理作用も立ち上がる手前にとどまると期待できるからです。

TGN1412 の事後検討では、実際に投与された量は人の受容体をかなりの割合で占めてしまう量だったと見積もられており、もし占有率をごく低く抑える設計にしていれば、投与量は当時よりはるかに低くなっていたはずだと指摘されています。事故後、この抗体は名前を変えて(TAB08)、当時よりも桁違いに低い量から健康志願者への投与が慎重に再開されたことが報告されています。

ただし、どの指標を、どの水準で使うかに、一律の正解はありません。占有率で見るのか、in vitro の効力で見るのか、あるいは両方を出して低い方を採るのか。薬の作用の仕方(標的を抑えるのか、逆に活性化するのか)や、標的の性質によって、妥当な置き方は変わります。⁠単一の合格基準はなく、複数の見積もりの中でいちばん保守的な(低い)値を尊重するのが基本 です。

POINT

MABELの見積もりに決まった一つの式はありません。結合親和性・受容体占有率・in vitro効力など複数の切り口で算出し、最も保守的な値を採るのが実務の定石です。とくに標的を活性化するタイプの抗体では、ごく低い占有率でも反応が立ち上がりうる点に注意します。

NOAEL起点と突き合わせる:低い方を採る

MABEL は NOAEL 起点の手法を置き換えるものではありません。実務では、両方を出して突き合わせます。

具体的には、動物の NOAEL を体表面積で人の量(HED)へ直し、安全係数で割って出した開始用量の上限(MRSD、最大推奨開始用量感度の高い種のHEDを安全係数で割って求める、最初に投与してよい上限量。)と、MABEL から見積もった量を並べます。そして、より控えめな(低い)方を初回量の根拠に採ります。効果が強く、標的への敏感さに種の違いがありそうな抗体では、この「低い方を採る」判断で MABEL 側が選ばれることが多いとされています。

観点NOAEL起点(毒性側から)MABEL起点(薬理側から)
基準にする量毒性が出なかった最高用量はたらきが立ち上がる最小の曝露
主に使う情報動物毒性試験のNOAEL受容体占有・結合・in vitro効力
得意な場面一般的な低分子高リスクな生物学的製剤抗体など生き物由来の医薬品で、NOAEL起点の換算だけでは危ういことがある。・抗体
弱点への備え種差で毒性を過小評価する恐れ薬理の種差そのものを織り込む
実務での扱い両方を算出し……より低い方を採る

なぜ低い方を採るのか。初回投与試験の主役は、多くの場合まだ薬の恩恵を受けない健康な志願者です。ここでの最優先は、効果を確かめることより、人を危険にさらさないことです。だからこそ、毒性側の上限と薬理側の下限という二つのものさしを両方あて、より安全に振れる方を選びます。⁠初回投与量は、毒性側の上限と薬理側の下限を並べ、保守的な方を採って決める ものです。

なお、MABEL の発想は抗体だけのものではありません。低分子でも、標的や効き方によっては薬理側から下限を見積もる考えを併せて使いますし、逆に、標的がよく分かっていて反応が穏やかな抗体では、必ずしも MABEL が最も低い値になるとは限りません。薬の性質とリスクに応じて、どのものさしを重く見るかを判断します。

まとめ

抗体医薬の初回投与量では、NOAEL(毒性が出なかった最高用量)を起点にした換算だけに頼りません。効果が強く、標的への敏感さに種の違いがある薬では、毒性が見える前に人での薬理作用が暴走しうるからです。TGN1412 の事故は、その盲点を痛烈に示しました。

そこで使うのが MABEL(最小予測生物学的作用量)です。受容体占有率や結合親和性、ヒト細胞での効力といった薬理データを総合し、「はたらきが立ち上がる手前」に初回量を置きます。見積もりに単一の式はなく、複数の切り口で算出して最も保守的な値を採るのが基本です。

実務では、NOAEL 起点で出した MRSD感度の高い種のHEDを安全係数で割って求める、最初に投与してよい上限量。 と MABEL 起点の値を並べ、より低い方を初回量の根拠にします。毒性側の上限と薬理側の下限を両方にらむ——この姿勢が、初めて人に投与する場面の安全設計の核心です。

参考文献

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編集メモ:この記事はProglenth編集部が、抗体医薬に関する基礎的な情報を、はじめての方にも分かるように整理したものです。実際の製造方法・管理戦略・品質基準は、製品や企業、各国の規制によって異なります。本記事は一般的な解説であり、特定製品の推奨や規制・医療上の助言ではありません。実務で判断される際は、各極の薬局方・ガイドライン(ICH/GMP等)やメーカーの一次情報を必ずご確認ください。内容に誤りやご指摘があればお問い合わせからお知らせください。