低分子研究・非臨床安全性

遺伝毒性試験の標準的な組み合わせとは?(ICH S2:バッテリーの考え方)

遺伝毒性試験医薬品候補物質がDNAや染色体に損傷を与えるかどうかをヒトへの投与前に評価するための試験の総称。は、医薬品の候補となる物質がDNAや染色体を傷つけないかを、ヒトに投与する前に見極めるための検査です。ここで多くの人が最初に戸惑うのが、「なぜ1つの試験で済ませず、いくつもの試験を組み合わせるのか」という点です。

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遺伝毒性試験の標準的な組み合わせとは?(ICH S2:バッテリーの考え方)

答えを先に言えば、遺伝情報への傷にはいくつも種類があり、どの試験にも得意・不得意があるからです。1つの試験だけでは、その試験が苦手とするタイプの傷を丸ごと見落としかねません。そこで、性質のちがう試験を計画的にそろえ、全体として遺伝毒性の主要な部分を取りこぼさないようにします。この「試験の組み合わせ」を、遺伝毒性の標準バッテリー遺伝毒性評価において、性質の異なる複数の試験を組み合わせ、主要な遺伝的損傷をもれなく検出できるよう設計された標準的な試験セット。(標準試験セット)と呼びます。

医薬品では、この組み合わせ方を国際的なガイドラインICH S2(R1)医薬品の遺伝毒性試験の標準的な組み合わせと、そのデータ解釈を定めたガイドライン。が定めています。この記事では、個々の試験のやり方には深入りせず、なぜ複数を組むのか、どういう考え方で標準の組み合わせが決まっているのか、陽性が出たらどう扱うのか、という「バッテリーの設計思想」を通して見ていきます。

なぜ1つの試験では足りないのか

遺伝情報への傷は、大きく分けて次の3つに整理できます。それぞれ起こり方がちがうため、見つけるのに向いた試験も変わってきます。

  • 遺伝子突然変異DNAの塩基配列において塩基の置換・欠失・挿入などが生じ、遺伝情報が変化する比較的小規模な損傷。:DNAの文字(塩基)が入れ替わったり、抜け落ちたりする、比較的小さな傷です。
  • 染色体の構造異常:染色体が切れたり、つなぎ変わったりする、目に見える大きな傷です。切断を起こす物質をクラストゲン染色体を切断する物質。生じた動原体のないかけらが小核として現れる構造異常を起こす。と呼びます。
  • 染色体の数的異常:分裂のときに染色体の配られ方が狂い、本数がずれる異常です。数を狂わせる物質をアニュージェン染色体の分配を乱し本数を狂わせる物質。染色体が1本まるごと小核になる数的異常を起こす。と呼びます。

1つの試験がこれらすべてを等しく拾えるわけではありません。たとえば細菌を使う試験は遺伝子突然変異には強い一方、そもそも染色体を持たない細菌では染色体レベルの異常は見えません。だからこそ、担当のちがう試験を組み合わせて、主要な傷の型をひととおりカバーする必要があります。

POINT

遺伝情報への傷は「遺伝子突然変異」「染色体の構造異常」「染色体の数的異常」に大別されます。どの試験にも死角があるため、担当のちがう試験を組み合わせて全体をカバーするのが標準バッテリーの発想です。

標準バッテリーの基本形

ICH S2(R1)は、標準バッテリーとして2つの選択肢を示し、どちらも同等に妥当としています。共通する土台は、細菌を使った遺伝子突然変異の試験、すなわちAmes試験(細菌復帰突然変異試験壊した遺伝子が変異で元に戻る回数を数え、化合物の変異原性を細菌で手早く調べる試験。)です。菌株の選び方やS9による代謝活性化肝臓由来の酵素画分(S9)に補酵素を加えた試薬。細菌の系に代謝を再現し、代謝で生じる変異原を捕まえる。の考え方は、Ames試験の記事で詳しく扱っています。

選択肢1:in vitroの哺乳類細胞試験を含む組み合わせ

1つ目は、次の3本を組む形です。

  • 細菌での遺伝子突然変異試験(Ames試験壊した遺伝子が変異で元に戻る回数を数え、化合物の変異原性を細菌で手早く調べる試験。
  • in vitro生きた動物の体外で、試験管やシャーレなどを用いて細胞・組織・分子レベルで行う実験を指す用語。で染色体の傷を見る試験。染色体異常試験分裂中期の細胞で染色体の形を観察し、切断や交換など構造異常の型まで調べる遺伝毒性試験。小核試験(CBMN法)を選ぶか、あるいはマウスリンフォーマTk試験マウスリンパ腫細胞のチミジンキナーゼ遺伝子座における突然変異頻度を指標に、遺伝子突然変異と染色体異常を同時に検出できるin vitro試験。を用います。
  • in vivo生きた動物の体内で試験を行うこと。物質が吸収・代謝を受けた実際の状態での影響を見られる。で遺伝毒性を見る試験。ふつうはげっ歯類の造血細胞(骨髄など)を使った小核試験染色体レベルの損傷を、細胞内に生じる小核の頻度で調べる遺伝毒性試験。です。

細菌でカバーできない染色体レベルの傷を、in vitroの哺乳類細胞試験で補い、さらに生きた動物での試験を1本重ねる、という組み立てです。

選択肢2:in vivoを2組織で見る組み合わせ

2つ目は、in vitroの哺乳類細胞試験を置かず、代わりにin vivo試験生きた動物の体内で被験物質の影響を評価する試験で、吸収・分布・代謝・排泄など生体の条件を反映できる。を2つの組織で行う形です。

  • 細菌での遺伝子突然変異試験(Ames試験)
  • in vivoの小核試験(げっ歯類の造血細胞などを使う、1つ目の組織)
  • もう1つの組織を使ったin vivo試験。多くは肝臓でのDNA鎖切断DNAの糸が切れた状態。放射線や反応性物質、酸化ストレスなどで生じ、コメットアッセイが主にとらえる傷。を見るコメットアッセイなどが選ばれます。

どちらの選択肢でも、Ames試験で遺伝子突然変異を、別の試験で染色体レベルの異常を、そしてin vivo試験で生体での状況を押さえる、という役割分担は変わりません。

in vivo試験が担う役割

in vitroの試験は感度が高く手軽ですが、試験管の中の状況は生体とは異なります。実際にヒトや動物の体に入った物質は、吸収され、全身に分布し、肝臓などで代謝を受け、やがて排泄されます。この一連の動き(体内動態)によって、標的となる組織にどれだけ届くか、どんな代謝物になるかが決まります。

in vivo試験の役割は、この「生体ならではの条件」を評価に取り込むことにあります。in vitroでは強く出た反応が、生体では標的組織に十分届かず問題にならないこともあれば、逆に代謝で生じた物質が生体で初めて効くこともあります。ただし、in vivo試験を「陰性だから安全」と読むには、対象の組織に物質が十分到達していたことを示す必要があります。到達していなければ、そもそも傷を起こす機会がなかっただけかもしれないからです。

POINT

in vivo試験は、吸収・分布・代謝・排泄といった体内動態を評価に取り込む役割を担います。ただし陰性の結果を活かすには、標的組織へ物質が十分に到達していたことの裏づけが要ります。

陽性が出たとき:追加評価とweight of evidence

in vitroの試験、とくに哺乳類細胞を使う試験では、実際にはヒトでの発がんに結びつかない「関連性の乏しい陽性」が出ることが知られています。高い濃度や強い細胞毒性物質が細胞の生存や増殖を障害する性質のことで、過剰な細胞毒性条件下では偽陽性の遺伝毒性シグナルが生じやすくなる。の条件では、この傾向がとくに問題になります。ICH医薬品規制の国際調和を目的として、日米欧の規制当局と製薬業界が参加する国際的なガイドライン策定機関。 S2(R1)は、こうした無用な陽性を減らすため、試験の最高濃度や許容する細胞毒性の目安を見直した、という経緯があります。

そのため、ある試験で陽性が出ても、それだけで「遺伝毒性あり」と結論するわけではありません。陽性の重みを見きわめるため、いくつもの情報を突き合わせて総合的に判断します。この考え方をweight of evidence母動物毒性や用量反応など複数の情報を総合して、所見の意味を判断する考え方。証拠の重みづけ手元の情報を並べ、残る懸念の有無を総合的に見きわめて試験の要否を決める考え方。証拠の重みづけ。)と呼びます。具体的には、陽性が用量に応じて再現よく出ているか、作用のしくみが説明できるか、構造から見て懸念があるか、そして生体での試験(in vivo)ではどうか、といった点を並べて評価します。

in vitroで陽性でも、適切に設計されたin vivo試験で明確に陰性であれば、生体レベルでは問題にならないと判断できる場合があります。逆に、複数の試験で一貫して陽性が出れば、懸念は強まります。1つの結果を絶対視せず、証拠全体で向きを決めるのが、バッテリーを運用するうえでの基本姿勢です。

バッテリーの限界と注意点

標準バッテリーは、遺伝毒性の主要な部分を効率よく押さえるようにできています。ただし、万能ではありません。すべての作用機序薬が効果を発揮する仕組み。抗体医薬ではADCCやCDCなどが該当し、アッセイで裏づける。を捉えられるわけではなく、まれに標準の組み合わせをすり抜ける物質もあります。必要に応じて、追加の試験や作用機序の検討で補います。

また、遺伝毒性が陰性であることは、発がん性がないことをそのまま保証するものではありません。発がんには、遺伝子を直接傷つけない経路(非遺伝毒性メカニズムDNAを直接損傷することなく細胞増殖の制御異常などを介して発がんを促す経路で、遺伝毒性試験では検出されない。)もあるためです。長期の発がん性については、発がん性試験(ICH S1)が別に評価を担います。遺伝毒性化合物が遺伝子や染色体を傷つける性質。点突然変異や染色体損傷を含み、複数の試験で分担して調べる。バッテリーは、あくまで「遺伝情報への傷」という切り口を受け持つ一部だと捉えるのが正確です。

なお、原薬原薬。精製を終えた有効成分そのもので、製剤化する前の段階を指す。そのものだけでなく、製造で生じる不純物にも注意が要ります。DNAに反応する変異原性不純物(ニトロソアミンなど)は、別の枠組みで管理されます。評価の対象を取り違えないことも、実務では大切になります。

まとめ

遺伝毒性の標準バッテリーは、遺伝子突然変異・染色体の構造異常・数的異常という性質のちがう傷を、担当のちがう試験でひととおりカバーするための組み合わせです。ICH S2(R1)は、Ames試験を土台に、in vitroの哺乳類細胞試験を含める形と、in vivoを2組織で見る形の2つの選択肢を示しています。in vivo試験は体内動態を評価に取り込む役割を持ち、陽性が出たときはweight of evidenceで証拠全体から判断します。個々の試験の詳しいやり方は各記事にゆずりますが、「1つでは足りないから組み合わせる」という設計思想をつかんでおくと、非臨床安全性の資料がぐっと読みやすくなります。

参考文献

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編集メモ:この記事はProglenth編集部が、低分子に関する基礎的な情報を、はじめての方にも分かるように整理したものです。実際の製造方法・管理戦略・品質基準は、製品や企業、各国の規制によって異なります。本記事は一般的な解説であり、特定製品の推奨や規制・医療上の助言ではありません。実務で判断される際は、各極の薬局方・ガイドライン(ICH/GMP等)やメーカーの一次情報を必ずご確認ください。内容に誤りやご指摘があればお問い合わせからお知らせください。