がん原性試験とは?ICH S1と、2年試験を省ける場合
GLP-1受容体作動薬GLP-1受容体に結合してインスリン分泌促進などの作用を示す薬剤の総称で、2型糖尿病や肥満症の治療に用いられる。詳しく →のリラグルチドやセマグルチドは、米国の添付文書に、甲状腺のC細胞腫瘍の危険を知らせる枠囲みの警告(boxed warning)が付いています。根拠になったのは、ラットとマウスに薬を長く与えた試験で、甲状腺のC細胞に腫瘍が増えたことです。ヒトで同じことが起きるかどうかは、分かっていません。

こうして動物の長期試験の結果が添付文書まで届く試験が、がん原性試験薬を長期に投与したとき、がんのできやすさを調べる特殊な毒性試験で、長期投与薬で重要。詳しく →です。長く使う薬について、動物の生涯に近い期間をかけて腫瘍が増えないかを調べます。ただし、すべての薬に2年がかりの試験が要るわけではありません。先に来るのは、そもそも要るのかという判断です。2022年のICH医薬品規制の国際調和を目的として、日米欧の規制当局と製薬業界が参加する国際的なガイドライン策定機関。詳しく → S1B(R1)では、手持ちのデータを総合して、ラットの2年試験を省ける場合の考え方も示されました。
2年の投与に病理の評価が続くこの試験は、開発の日程と費用を大きく動かします。要否の判断で何が決まり、結果で何が変わるのかを、順に見ていきます。
動物の腫瘍が警告になる ― GLP-1薬の甲状腺C細胞腫瘍
リラグルチドの添付文書によると、ラットとマウスの両方で、臨床で想定する曝露のもとで、甲状腺のC細胞に腫瘍ができました。腫瘍は、用量が高いほど、投与期間が長いほど増えました。セマグルチドの米国の添付文書にも、同じ枠囲みの警告が付いています。
ヒトでも起きるかどうかは、添付文書の上でも未確定です。そのため警告には、甲状腺髄様がんになった人や、家族にいる人、多発性内分泌腫瘍症2型(MEN 2)の人には使わない、という禁忌が付いています。げっ歯類のC細胞は、GLP-1の受容体をヒトより高い密度で持つとされ、動物の結果がヒトにそのまま当てはまるのかが議論されています。定期的なカルシトニン(C細胞が出すホルモン)の測定や超音波で早期発見する価値も、はっきりしていません。
げっ歯類の長期試験で出た腫瘍は、ヒトに当てはまるかが不明でも、警告や、使えない人の指定という形で添付文書に残ることがあります。
そもそも要るのか ― 要否の判断が先
最初に決めるのは、試験の中身ではなく、試験が要るかどうかです。ICH S1Aは、臨床で連続して6か月以上使う薬や、慢性・再発性の病気で断続的に長く使う薬を、主な対象にしています。使う期間が短い薬には、原則として長期の試験を求めません。
期間だけでは決まりません。同じ系統の薬に発がん性が知られている、化学構造が発がんを疑わせる、反復投与毒性試験薬を繰り返し与え、どの臓器がどの量から傷むか、回復するかを調べる中核の毒性試験。詳しく →で前がん病変のような所見が出た、組織に長く残る。こうした気がかりがあれば、使用期間が短くても検討に入ります。遺伝子や染色体を傷つける(遺伝毒性化合物が遺伝子や染色体を傷つける性質。点突然変異や染色体損傷を含み、複数の試験で分担して調べる。詳しく →がある)薬は、発がんしうる物質として扱われ、2年試験を追加しても得られる情報が少ないため、行わないことが多くなります(遺伝毒性の標準バッテリー)。
薬の種類で、扱いが変わることもあります。抗体のようなバイオ医薬品抗体・タンパク質・核酸など生体由来の分子を利用して製造された医薬品の総称。詳しく →では、げっ歯類の長期試験は通常行わず、標的の生物学からリスクを考えます(バイオ医薬品の非臨床安全性)。進行がんの薬は、承認の支えとしても不要とされています(ICH S9)。
開発の日程にも響きます。長く使う薬では、申請までに結果が必要です。命に関わる重い病気の薬では、承認のあとに試験を終えてよい場合があります(ICH M3(R2)臨床試験を支える非臨床安全性試験の実施時期や内容の全体像を示すICHガイドライン。詳しく →)。
開発の初期に、使う期間、遺伝毒性の結果、薬の種類の3つで、要否と日程の見通しを立てます。
ProgLoopで調べるこの製品・工程、ProgLoopで実務者に聞く関連製品や他社の使用経験とあわせて引けます。迷えば、そのまま質問も投げられます。ProgLoopで調べる試験の組み方 ― ラットの2年試験、もう1本、用量
必要と判断されたら、中心になるのはラットの2年試験です。
動物のほぼ生涯にあたる期間、毎日投与を続け、あらゆる臓器に腫瘍が増えないかを病理で調べます。低用量から高用量までの群を置き、腫瘍の発生が対照群より増えていないか、早まっていないかを比べます。発がんは、遺伝子の傷や細胞の増殖の乱れが積み重なって、時間をおいて現れるため、数週間や数か月の試験では見えません。
もう1本は、従来はマウスの2年試験でした。ICH S1Bは、これを遺伝子改変マウス(rasH2マウスなど、発がんの兆候が早く出るよう操作したマウス)の約6か月の試験に置き換える選択肢を認めています。動物数も期間も減らせます。
どこまで投与するかも、結果の意味を左右します。低い用量までしか試していなければ、「腫瘍が増えなかった」は安心の根拠になりません。高用量は、動物が耐えられる上限(最大耐量動物が耐えられる最大の投与量。近年は曝露マージンを踏まえ、機械的に最大耐量まで上げない考え方が重視される。詳しく →)や、吸収が頭打ちになる量などで決めます。非遺伝毒性の薬では、ヒトの曝露の25倍のAUC遠心中の試料の沈み方を光で測り、分子の大きさや会合状態を調べる分析装置です。純度や凝集の評価に使います。詳しく →(血中の薬の総量)が得られる用量という目安もあり、いずれも血中濃度を測って裏づけます(トキシコキネティクス)。
結果は、腫瘍の有無だけで読みません。ヒトの曝露と、動物で腫瘍が増えた、あるいは増えなかった曝露との距離とセットで読みます。差が大きいほど、ヒトでの使用は安全側にあると読めます。小さければ、慎重に判断します。
がん原性試験は、どの曝露まで試したかで、「腫瘍なし」の重みが変わります。
2年試験を省ける場合 ― 証拠の重み(S1B(R1))
ここまでは、試験の組み方でした。2022年8月に最終化されたICH S1B(R1)は、そもそもラットの2年試験が、ヒトの発がんリスクの評価に何を付け加えるかを、試験の前に見積もる考え方を加えました。証拠の重み(weight of evidence母動物毒性や用量反応など複数の情報を総合して、所見の意味を判断する考え方。詳しく →)による判断です。
束ねるのは、すでに手元にある6つの情報です。薬が狙う標的の生物学、ほかの分子への作用(二次薬理)、慢性毒性試験での組織の変化、ホルモンへの影響、遺伝毒性、免疫への影響です。これらを総合して、発がんのリスクが低いと強く言える場合や、懸念が明らかで試験をしても結論が変わらない場合は、ラットの2年試験を追加しても得られる情報が小さいと考えます。

これは既存の指針を置き換えるものではなく、補う考え方です。米国のFDAは、2022年11月に同じ内容を指針として出しています。手持ちのデータがそろうほど、説得力が増します。省く案は、試験を始める前に当局へ相談して見解を得ます。動物試験を減らす制度の流れは動物実験代替(NAMs)にまとめています。
2年試験は、一律に回すものから、手持ちの証拠を束ねて要否を選ぶものへ変わりつつあります。
明日から確かめられること ― 開発計画と報告書の確認点
開発計画の段階では、次の点を確かめます。
- 想定する使用期間と対象から、がん原性試験が要るか。要るなら、申請までにいつ結果が必要か。2年の投与と病理の評価を、日程から逆算できているか
- 遺伝毒性の結果はどうか。陽性なら、2年試験の扱いをどう考えるか
- 証拠の重みで2年試験を省く案があるか。あるなら、当局に相談したか
報告書を読むときは、次の点です。
- 高用量の根拠は何か。最大耐量か、曝露の倍率か。曝露を実測しているか
- 腫瘍が増えたなら、ヒトに当てはまるかの評価(仕組み、受容体の発現目的タンパク質をコードする遺伝子を宿主細胞内で転写・翻訳させ、機能的なタンパク質として産生させる工程。詳しく →、曝露の倍率)が書かれているか
- 腫瘍が増えなかったなら、どの曝露まで試したか
長期の動物試験の受託先は、毒性病理・安全性薬理の製品ページから比べられます。病理標本の評価の周辺はデジタルパソロジースキャナ、血中濃度の測定はLC-MSが入口です。
参考文献
- ICH S1A, Guideline on the Need for Carcinogenicity Studies of Pharmaceuticals(要否の判断。ICH 安全性ガイドライン一覧)
- ICH S1B(R1), Addendum to S1B: Testing for Carcinogenicity of Pharmaceuticals(2022年8月4日にStep 4。証拠の重みによる判断。FDA版(2022年11月))
- ICH S1C(R2), Dose Selection for Carcinogenicity Studies of Pharmaceuticals(用量設定。非遺伝毒性の薬でのAUC比25倍の目安)
- ICH M3(R2), Nonclinical Safety Studies for the Conduct of Human Clinical Trials and Marketing Authorization for Pharmaceuticals(試験の時期)
- Saxenda (liraglutide) Prescribing Information(ラットとマウスでの甲状腺C細胞腫瘍、ヒトでの関連は未確定。枠囲みの警告)
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