免疫毒性試験とは?(ICH S8:免疫抑制・免疫増強の評価)
新しい薬の害というと、肝臓や腎臓が傷むといった臓器への直接のダメージを思い浮かべます。ところが薬のなかには、臓器そのものは無事でも、体を守る免疫のはたらきを意図せず弱めたり、逆に過剰にたきつけたりするものがあります。免疫が落ちれば感染症やがんが起きやすくなり、過剰に働けば炎症へ傾く——臓器毒性とは別の切り口で見なければ見落とす害です。

この「薬が免疫系に及ぼす意図しない悪影響」を免疫毒性(immunotoxicity薬剤が意図せず免疫系の機能を抑制または過剰に活性化させる、臓器毒性とは区別される有害作用のこと。)と呼びます。狙って免疫を動かす薬(免疫抑制剤など)の主作用の話ではなく、あくまで意図しない副作用として免疫抑制・免疫増強が起きないかを見るのがテーマです。低分子医薬品化学合成によって製造される比較的分子量の小さな有機化合物の医薬品で、バイオ医薬品と区別される。を主な対象に、この評価の考え方を国際的にそろえたのが ICH医薬品規制の国際調和を目的として、日米欧の規制当局と製薬業界が参加する国際的なガイドライン策定機関。 S8(Immunotoxicity Studies for Human Pharmaceuticals)です。
ICH S8 の骨格はシンプルです。通常の反復投与毒性試験のなかに免疫毒性を疑わせる「サイン」がないかを丹念に拾い、そのサインや薬の性質・患者集団などを総合して(weight of evidence母動物毒性や用量反応など複数の情報を総合して、所見の意味を判断する考え方。)追加の免疫機能試験が要るかを判断し、要れば TDAR(T細胞依存性抗体応答抗原提示細胞・ヘルパーT細胞・B細胞の連携を必要とする抗体産生経路を評価することで、免疫機能を総合的に測る試験法。)を中心とする機能試験に進む——この段階的な流れが全体像です。非臨床安全性全体のなかでの位置づけは 非臨床の毒性試験・安全性薬理 とあわせて読むと掴みやすいはずです。
免疫毒性とは——意図しない免疫抑制と免疫増強
ICH S8 が扱う免疫毒性は、大きく二つの方向に分かれます。一つは免疫抑制(immunosuppression薬剤や疾患などによって免疫系の応答能力が低下し、感染症やがんへの抵抗力が弱まった状態。)、薬が免疫のはたらきを意図せず弱めてしまう方向です。抵抗力が落ちれば、感染症にかかりやすくなり、本来なら免疫が抑え込む腫瘍も増えやすくなります。もう一つは免疫増強(immunoenhancement免疫系が過剰に活性化され、炎症反応などが必要以上に引き起こされる状態。)、免疫を意図せず過剰にたきつけてしまう方向です。
押さえておきたいのは、ICH S8 の主眼が意図しない免疫抑制薬剤や疾患などによって免疫系の応答能力が低下し、感染症やがんへの抵抗力が弱まった状態。の評価にある点です。免疫増強免疫系が過剰に活性化され、炎症反応などが必要以上に引き起こされる状態。も対象には含まれますが、方法論が詳しく示されているのは主に免疫抑制の側です。また、薬に対するアレルギー反応(過敏症)や薬が引き金になる自己免疫は、ICH S8 の範囲から外れ、別の考え方や試験で受け持つ領域とされています。
免疫毒性は「意図しない免疫抑制」と「意図しない免疫増強」の二方向です。ICH S8 は主に免疫抑制の評価方法を示し、アレルギー(過敏症)や薬剤誘発性の自己免疫はS8の対象外です。免疫抑制のサインは、感染や腫瘍の増加という「結果」として遅れて現れることがある点に注意します。
なお、ここで念頭に置くのは主に低分子(合成医薬品)です。抗体などのバイオ医薬品は別途 ICH S6(R1)バイオ医薬品の非臨床安全性評価の考え方を示すICHガイドライン。種選択などの枠組みを定める。 の枠組みで扱う点を、最後にあらためて触れます。
まず標準の反復投与毒性試験で「懸念サイン」を拾う
ICH S8 の出発点は、新しく専用試験を組むことではありません。すでに実施する標準的な反復投与毒性試験(STS、Standard Toxicity Study)のなかに、免疫系への影響を示すサインが出ていないかを注意深く読み取ることから始めます。一次スクリーニング多数の抗体クローンから、次段に進める候補を結合・発現・多様性で手早く絞り込む初期の選抜作業。は、既存の試験の観察項目に組み込まれているという発想です。
注目する項目には、次のようなものがあります。
| 観察の切り口 | 免疫毒性薬剤が意図せず免疫系の機能を抑制または過剰に活性化させる、臓器毒性とは区別される有害作用のこと。を疑わせる所見の例 |
|---|---|
| 血液学 | 白血球数やその分画(リンパ球など)の変化 |
| 血液生化学 | 説明のつかない血清グロブリン血清中に含まれるタンパク質の一群で、抗体(免疫グロブリン)を含み、変動が免疫機能の変化を示唆することがある。の変化 |
| 臓器重量・肉眼所見 | リンパ系臓器免疫細胞が集まり成熟・活性化される臓器の総称で、胸腺・脾臓・リンパ節・骨髄などが含まれる。(胸腺T細胞が成熟・選択される一次リンパ器官で、免疫毒性評価において萎縮の有無が重要な観察指標となる。・脾臓など)の重量変化 |
| 病理組織 | リンパ系組織(胸腺・脾臓・リンパ節・骨髄)の組織学的変化 |
| その他の徴候 | 感染症の増加、説明のつかない腫瘍の増加 |
とりわけ重視されるのが、リンパ系組織の病理組織学的な観察です。胸腺・脾臓・リンパ節・骨髄を丁寧に見て、リンパ球が減っている領域や構造の乱れがないかを評価します。血球数や臓器重量では拾いきれない変化を、組織のレベルで捉える狙いです。
ただし、ここに落とし穴があります。リンパ系組織の萎縮のような変化は、免疫系への直接作用ではなく、動物が強いストレスを受けた二次的な結果として起きることがあるのです。強いストレスは副腎皮質ホルモンの上昇を招き、胸腺やリンパ組織を縮ませます。つまり同じ「胸腺が小さい」という所見でも、薬が免疫系を直接叩いた結果なのか、体調悪化に伴うストレス反応の余波なのかを見分ける必要があります。この見極めこそ、次に述べる weight of evidence の要点です。
weight of evidence で追加試験の要否を決める
反復投与毒性試験薬を繰り返し与え、どの臓器がどの量から傷むか、回復するかを調べる中核の毒性試験。でサインが見つかったとして、必ず追加の免疫機能試験をやるのか——というと、そうではありません。ICH S8 は、単一の所見だけで機械的に決めず、複数の情報を重み付けして総合判断する weight of evidence(証拠の重み付け)の考え方をとります。
考え合わせる要素には、次のようなものがあります。
| 考慮する要素 | 見るポイントの例 |
|---|---|
| 毒性試験の所見 | 変化の統計的・生物学的な意味、重症度、用量・曝露との関係 |
| 薬の薬理作用 | 作用機序薬が効果を発揮する仕組み。抗体医薬ではADCCやCDCなどが該当し、アッセイで裏づける。から免疫系への影響が予想されるか |
| 構造上の類似性 | 既知の免疫抑制物質と似た構造を持つか |
| 体内動態 | 免疫系の組織に集まりやすい性質があるか |
| 対象患者 | すでに免疫が低下した集団に使うかどうか |
| 臨床情報 | 感染症の増加など、ヒトでの手がかりがあるか |
この総合判断で、先ほどのストレスの問題も切り分けます。リンパ系の変化が体重減少などの全身毒性と同じ高用量でだけ現れるならストレス由来の二次変化を疑い、他の毒性が目立たない用量から免疫系だけに変化が出ているなら直接作用を疑います。
反復投与毒性試験のサインは、それ単独では白黒つきません。所見の性質・用量関係・薬理作用・患者集団などを重み付けする weight of evidence で追加試験の要否を判断します。ストレス由来の二次変化と免疫系への直接作用を切り分けるのが、この段階の肝です。
こうして「追加の機能試験が要る」と判断されたときに、はじめて次のステップへ進みます。多くのケースは標準毒性試験の観察と weight of evidence の判断で足り、必ずしも追加試験には至りません。
追加の免疫機能試験——TDAR を中心に
追加試験が必要と判断された場合、中心に据えられるのが TDAR(T細胞依存性抗体応答、T-cell Dependent Antibody Response抗原提示細胞・ヘルパーT細胞・B細胞の連携を必要とする抗体産生経路を評価することで、免疫機能を総合的に測る試験法。)です。免疫の一連の連携が正しく働くかを、一つのアウトプットで見られる機能試験の代表格です。
TDAR の考え方はこうです。動物にT細胞の助けを必要とする抗原(T細胞依存性抗原)を投与し、それに対して抗体がどれだけ作られるかを測ります。抗体が産生されるには、抗原提示細胞が抗原を提示し、ヘルパーT細胞がそれを認識してB細胞を助け、B細胞が抗体を作る——という複数の細胞の連携が要ります。だからこの抗体応答が落ちていれば、経路のどこかで免疫機能が損なわれていると読めます。免疫の「総合力」を一つの指標で捉えられるのが TDAR の強みです。抗原にはヒツジ赤血球(SRBC)やキーホールリンペットヘモシアニン巻き貝由来の高分子タンパク質で、免疫機能評価のTDAR試験においてT細胞依存性抗原として使用される。(KLH)を用い、産生された抗体は酵素免疫測定抗体と酵素反応の発色を使い、標的タンパク質を高感度に定量する免疫測定法。HCP等の測定に使う。(ELISA抗原と抗体の結合を酵素反応による発色などで検出し、目的の物質の有無や量を測る手法です。不純物や力価の測定に広く使われます。詳しく →)やプラーク形成細胞(PFC)アッセイで測定します。
TDAR抗原提示細胞・ヘルパーT細胞・B細胞の連携を必要とする抗体産生経路を評価することで、免疫機能を総合的に測る試験法。 以外にも、必要に応じて選ばれる手法があります。
| 手法 | 主に見るもの |
|---|---|
| TDAR | 抗原提示〜T細胞〜B細胞の連携による抗体応答(総合機能) |
| イムノフェノタイピング血液やリンパ組織中のT細胞・B細胞・NK細胞などリンパ球サブセットの種類と割合を測定する解析手法。 | リンパ球サブセット(T・B・NK細胞FcγRIIIaを持つリンパ球。パーフォリンやグランザイムで標的を傷害するADCCの主役。など)の構成 |
| NK細胞活性自然免疫に属するNK細胞が、ウイルス感染細胞や腫瘍細胞を直接傷害する能力を示す指標。 | 自然免疫の細胞傷害活性標的細胞をどれだけ殺傷できるかで測る、NK細胞製品の効力(ポテンシー)指標。 |
| 宿主抵抗性試験実際の病原体や腫瘍細胞を動物に投与し、生体が感染や腫瘍に抵抗できるかを直接評価する試験。 | 実際の病原体や腫瘍細胞に対する生体防御 |
これらの追加試験は、標準毒性試験で影響が見えた動物種・系統を使い、臨床の投与経路に合わせて、多くはげっ歯類で反復投与のかたちで実施します。TDAR で抑制が確認されるか陰性でも懸念が残る場合に、イムノフェノタイピングや宿主抵抗性試験などを重ねて中身を絞り込みます。
免疫増強という、もう一方向のリスク
ここまでは主に免疫抑制の話でしたが、ICH S8 の対象には意図しない免疫増強もあります。ただし免疫抑制ほど確立した標準法はなく、現れ方も作用機序によって大きく変わるため、薬の性質に応じて個別に考える面が大きい領域です。とくに免疫を活性化する生物学的製剤では、投与直後に信号物質が一気に放出されるサイトカイン放出免疫が短時間で信号物質を大量に放出し、発熱・血圧低下・臓器障害へ進む激しい反応。のような急性反応が問題になり、これはヒト由来の血液細胞を使った試験で見積もります。この論点は サイトカイン放出試験(CRS) で扱っています。免疫増強は S8 だけで完結させにくく、薬の種類ごとの固有のリスク評価と組み合わせて見る領域です。
バイオ医薬品は S8 ではなく S6 の土俵
最後に対象範囲を確認します。ICH S8 の枠組みは主に低分子(合成医薬品)を念頭に置いたもので、抗体などのバイオ医薬品の免疫系への影響は、基本的に別のガイドライン——ICH S6バイオ医薬品の非臨床安全性評価の考え方を定めた国際ガイドライン。標的が動物種間で保存されているかを重視する。(R1)——の側で扱います。
理由は、バイオ医薬品抗体・タンパク質・核酸など生体由来の分子を利用して製造された医薬品の総称。がそもそも免疫系と深く関わる設計を持つことが多いからです。抗体医薬は薬理作用そのものが免疫の調整である場合も少なくなく、動物が投与された抗体を異物とみなして抗体を作る免疫原性の問題や種選択の難しさなど、低分子とは異なる論点が前面に出ます。こうしたバイオ医薬品固有の非臨床安全性の考え方は バイオ医薬品の非臨床安全性(ICH S6) に、免疫原性の予測・評価は 抗体医薬の免疫原性とADA にまとめています。
まとめ
免疫毒性は、臓器そのものは無事でも免疫のはたらきが意図せず乱れる、臓器毒性とは別の切り口の害です。ICH S8 はその評価を、主に低分子について段階的に示します。まず標準の反復投与毒性試験で白血球数・グロブリン・リンパ系臓器の重量や病理から懸念サインを拾い、次に weight of evidence で追加試験の要否を判断し、要れば免疫の連携を一つの指標で捉える TDAR を中心に、イムノフェノタイピングや宿主抵抗性試験などを重ねる——この積み上げでリスクを見極めます。
一方、抗体などのバイオ医薬品は免疫系との関わりが深く、S8 ではなく ICH S6(R1) の側で扱います。対象の薬がどちらかを見定め、拠って立つ枠組みを選ぶところから、免疫毒性評価は始まります。