品質リスクマネジメント(ICH Q9):FMEAでリスクを見える化する
培養が突然安定しなくなった、精製ステップで不純物が規格内に収まらない、記録の不備が査察で指摘される——バイオ医薬品の製造現場では、こうした「想定外」は日常のすぐ隣にあります。問題は、そのたびに思いつきや経験則で対処していると、どこに本当のリスクがあるのかが見えなくなることです。体系立てて洗い出し、評価し、患者への影響という軸で優先順位をつけて手を打つ。その枠組みが品質リスクマネジメントリスクに基づいて品質を判断する、品質リスクマネジメントの考え方を示すICHのガイドライン。(QRM製品や工程のリスクに応じて管理の重みを決める考え方。汚染管理戦略の土台になる。:Quality Risk Management=品質にかかわるリスクを管理する仕組み)です。

QRMの国際的な土台になっているのが、ICH(医薬品規制調和国際会議)のガイドラインQ9です。2005年に発行され、2023年にはQ9(R1)として改訂されました。QRMを「やりなさい」と命じる文書というより、リスクをどう考え、どんな道具で見える化し、どう意思決定に結びつけるかの共通言語を示すもの。FMEA起こりうる故障モードとその影響を洗い出して優先度づけする、リスクアセスメントの手法。という言葉を聞いたことのある方も多いと思いますが、それはこの枠組みのなかで使われる道具の一つにすぎません。
大事なのは、FMEA・FMECA・HACCPといった手法そのものより、リスクに基づいて何を重要と見なすかという発想です。抗体医薬でいえば、CQA(重要品質特性)とCPP(重要工程パラメータ)工程パラメータのうち品質特性(CQA)に有意に効くもの。締めて重点管理する運転条件です。を特定し、ライフサイクル全体で見張り続けること。手法は入り口にすぎない。Q9(R1)がわざわざ「主観性」や「formalityリスク管理にかける労力・手法・文書化の濃淡。大きいリスクは厚く、小さいものは軽く扱う考え方。(かける労力の濃淡)」を持ち出したのも、道具さえ回せばリスクが管理できたことになる、という誤解への釘刺しだと読むべきでしょう。
- 品質リスクマネジメント(ICH Q9)は、起こりうる不都合を体系立てて洗い出し、患者への影響で優先順位をつける枠組みです。
- FMEA・FMECA・HACCPなどの手法は目的と情報量に合わせて選び、RPNの限界も踏まえて使います。
- QRMはライフサイクルを通じて回り続け、Q9(R1)は主観性・formality・供給リスクを問い直しました。
品質リスクマネジメントとは:リスクを「見える化」して意思決定につなぐ
ICH Q9リスクに基づいて品質を判断する、品質リスクマネジメントの考え方を示すICHのガイドライン。は、リスクを「危害の起こりやすさ(発生確率)と、その危害の重大さ(重篤度)の組み合わせ」と定義しています。ここでいう危害(harm)が最終的に指すのは、患者の健康被害です。つまりQRMは、製造上のあらゆるトラブルを平等に心配する活動ではない。「患者にどれだけ効いてくるか」を軸に注意を配る先を絞り込む活動——そう捉えると、この枠組みの輪郭がはっきりします。
Q9はQRMのプロセスを、大きく「リスクアセスメントリスクの特定・分析・評価を行い、何がどれくらい起こりうるかを見積もる段階。」「リスクコントロール」「リスクコミュニケーション」「リスクレビュー」の4要素として描きます(リスクコミュニケーションはプロセス全体を通じて並行して行われます)。リスクアセスメントはさらに、リスクの特定(何が起こりうるか)、分析(どれくらい起こりやすく、どれくらい重大か)、評価(許容できるか)の三段階に分かれます。
| 段階 | 問い | 主な活動 |
|---|---|---|
| リスクアセスメント | 何が、どれくらい起こりうるか | リスクの特定・分析・評価 |
| リスクコントロール | どこまで下げ、何を受け入れるか | 低減策の実施、残留リスクの受容 |
| リスクコミュニケーション | 誰に何を伝えるか | 関係者間での情報共有 |
| リスクレビュー | 前提は今も正しいか | 新しい情報・変更を受けた見直し |
この流れは一度回して終わりではなく、新しいデータや変更があれば前提を見直し、また回します。QRMは一回のイベントではなく、製品ライフサイクルを通じて回り続ける仕組み です。この点はプロセスバリデーションがライフサイクル活動であることと同じ構図で、両者はリスクアセスメントを介して密接につながっています。
ICH Q9の二つの基本原則は、「リスク評価は最終的に患者保護に結びつけること」と「QRMにかける労力・形式・文書化のレベルはリスクの大きさに見合わせること」です。すべてを最大の丁寧さで扱う必要はない。大きいリスクには厚く、小さいリスクには軽く——この濃淡の付け方が、実務での運用を左右します。
リスクアセスメント手法:FMEA・FMECA・HACCPを使い分ける
ICH Q9は特定の手法を義務づけていません。付録で代表的なツールを紹介しつつ、「目的に合ったものを選べばよい」という立場をとります。実務でよく使われるのがFMEA、FMECAFMEAに致命度の評価を加え、影響の重大さをより明示的に扱う拡張版のリスク手法。、HACCP工程全体で危害要因を洗い出し、重点管理すべき重要管理点を特定して監視する手法。、そしてもっと軽いリスクランキングやフローチャート型の整理です。
FMEA(Failure Mode and Effects Analysis各パラメータの影響度・発生度・検出度を評点し、品質リスクの優先順位を付ける手法です。=故障モード影響解析)は、工程やシステムを構成要素に分解し、それぞれで「どんな壊れ方(故障モード)が起こりうるか」「その影響は何か」「原因は何か」を系統的に洗い出す手法です。多くの現場では、各故障モードに対して重篤度(S:Severity)、発生頻度(O:Occurrence)、検出難易度(D:Detection)を点数化し、その積であるRPN(Risk Priority Number=リスク優先度指数重篤度・発生頻度・検出難易度を点数化して掛け合わせ、リスクの優先順位を表す数値。)で優先順位をつけます。
FMECA(Failure Mode, Effects and Criticality Analysis)は、FMEAに「criticality(致命度)」の評価を加えて、影響の重大さをより明示的に扱う拡張版です。HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Points=危害要因分析・重要管理点工程全体で危害要因を洗い出し、重点管理すべき重要管理点を特定して監視する手法。)は、もともと食品衛生の分野で発展した手法で、工程全体で危害要因を洗い出し、それを確実に管理できる「重要管理点(CCP)危害要因を確実に管理できる、工程中で特に重点的に監視・制御すべきポイント。」を特定して、そこを重点的に監視・管理します。
| 手法 | 得意なこと | 向く場面 |
|---|---|---|
| FMEA | 構成要素ごとの故障モードを網羅的に洗い出す | 工程・設備・システムの体系的評価 |
| FMECA | 影響の致命度をより明示的に扱う | 重篤度の差を強く反映したいとき |
| HACCP | 工程の流れに沿って重要管理点を特定する | プロセス全体の管理点設計 |
| リスクランキング/フローチャート | 軽く素早く優先順位をつける | 情報が限られる初期・小さな判断 |
手法の高度さより、目的とかけられる情報量に手法を合わせることが実務では重要 です。データが乏しい開発初期に精緻なFMEAを組んでも、点数の根拠が薄ければ数字が独り歩きします。逆に、影響の大きい工程を軽い整理で済ませれば見落としが出る。どちらも避けたい。
なお、RPNFMEAで影響・発生・検出の評点を掛け合わせた値。リスクの高さをランク付けする指標です。のような点数化には注意も要ります。S・O・Dの掛け算は、たとえば重篤度が極端に高い故障モードでも、発生頻度と検出性の点数次第でRPNが中位に埋もれてしまうことがあります。数字を機械的に並べて足切りするのではなく、重篤度が高いものは別枠で拾うなど、点数の限界を理解して使うのが安全です。
リスクに基づく管理:かける労力に濃淡をつける
QRMのねらいは、リスクをゼロにすることではありません。生きた細胞を使う抗体医薬のような製造で、変動やトラブルの芽をすべて消すのは現実的ではないからです。ねらいは別のところにある——限られたリソース(人・時間・お金)を、患者への影響が大きいところに優先して振り向けること。これが「リスクに基づく管理(risk-based approach)」の核心です。
この発想は、ICH Q10が示す医薬品品質システム(PQS:Pharmaceutical Quality System製品ライフサイクル全体で品質を維持・改善するマネジメント体制。逸脱・CAPA・変更管理を束ねる器。)のなかでも中心的な役割を担います。逸脱の重大さの判定、変更管理工程・設備・手順などの変更を評価・承認し、品質への影響とともに記録する仕組み。の範囲決め、サプライヤ管理の濃淡、査察での指摘への対応。こうした日々の意思決定の多くは、突き詰めればリスクの大小に基づく資源配分の問題です。
| 場面 | リスクに基づく判断の例 |
|---|---|
| 変更管理 | 変更がCQAに効きうるか評価し、再バリデーションプロセスや設備に変更が生じた際に、変更後も品質・性能が適切に保たれることを改めて実験・文書で実証する活動。範囲を決める |
| 逸脱承認された手順や規格から外れた事象。GMPでは発見したら記録し、製品品質への影響を評価してロットの可否を判断します。詳しく →処理 | 患者への影響度で調査の深さ・優先度を決める |
| サプライヤ管理 | 品質への影響が大きい原料ほど監査・試験を厚くする |
| 工程内管理工程の途中で中間体の力価や純度などを確認する管理。最終規格の前に品質を作り込む要素。 | リスクの高い工程ほど管理点・監視を密にする |
すべてを一律に管理するのではなく、リスクの大きさに応じて管理の厚みを変えるのがリスクベースリスクの大きさに応じて管理の濃淡や頻度を決める考え方。監査証跡レビューの頻度決定に用いる。の発想 です。この「厚みを変える」判断自体をどれだけ形式立てて(文書化して、手法を使って)行うかを、Q9(R1)は「formality(形式性)リスク管理にかける労力・手法・文書化の濃淡。大きいリスクは厚く、小さいものは軽く扱う考え方。」という言葉で整理しました。大きく不確実性の高い判断は厚く形式立てて、小さくルーチンな判断は軽く。この濃淡を意識的に設計しよう、という考え方です。
CQAとCPPの特定:リスクアセスメントで管理対象を絞り込む
QRMが最も具体的な形で効いてくる場面の一つが、CQA(Critical Quality Attributes患者の安全性や有効性に直結する製品の品質特性。規格外時の影響の大きさで重要かを判断する。=重要品質特性)とCPP(Critical Process Parameter工程パラメータのうち品質特性(CQA)に有意に効くもの。締めて重点管理する運転条件です。s=重要工程パラメータ)の特定です。ここはQbD(Quality by Design)品質を検査で確かめるのでなく、設計段階から作り込む開発の考え方。ICH Q8が示す。を扱うICH Q8医薬品開発とQbDの考え方を示すICHガイドライン。重要品質特性(CQA)を定義している。とも直結する領域です。CPPをどう見極め、設計空間品質が保証されると実証された、工程パラメータや原材料特性の多次元的な組み合わせの領域。として管理幅をどう張るかは重要工程パラメータと設計空間・QbDで詳しく扱っています。
CQAは、患者の安全性や有効性に直結する製品の品質特性です。抗体医薬なら、力価、純度(凝集体・断片)、電荷バリアント、糖鎖プロファイル、宿主細胞由来タンパク質(HCP)生産に使う細胞に由来し製品に残るタンパク質不純物。精製で除去し、残存量を管理します。、残存DNA、エンドトキシングラム陰性菌の外膜由来の発熱性物質(LPS)で、注射剤では厳しく管理し、LAL試験などで測定します。詳しく →などが候補になります。どの特性が「critical(重要)」かは、その特性が規格から外れたときに患者にどれだけ影響するか——つまりリスクの大きさで判断します。ここでリスクアセスメントが使われます。
CPPは、それらCQAに影響を与える工程側の操作条件です。培養ならDO(溶存酸素)、pH、温度、フィード、精製ならpH、伝導度、流速、滞留時間抗体が標的に結合し続ける時間。解離の遅さ(小さいkd)で長くなり、効き続けやすさに関わる。などが候補です。「どのパラメータがCPPか」も、そのパラメータを動かしたときにCQA製品の有効性や安全性に直結し、規格で管理すべき品質特性。空実比や純度、凝集体などが該当する。がどれだけ動くか、つまり影響の大きさとばらつきのリスクで線を引きます。
| 区分 | 判断の軸 | 抗体医薬での例 |
|---|---|---|
| CQA | 規格外時の患者への影響(リスク)の大きさ | 凝集体率、電荷バリアント、糖鎖、HCP、残存DNA |
| CPP | CQAへの影響の大きさと変動のリスク | 培養温度・pH・DO、精製のpH・伝導度・流速 |
| 非CPP(監視対象) | CQAへの影響が小さいと評価された条件 | 監視はするが管理幅が広いパラメータ |
実務では、初期にリスクアセスメント(多くはFMEAやリスクランキング)で影響の大きそうなパラメータを幅広く挙げ、DoE(実験計画法)で実際にCQAへの効き方を確かめて、CPPを絞り込んでいく流れが一般的です。CQA・CPPの特定は、リスクという物差しで「どこを重点的に管理するか」を決める作業そのもの です。ここで手を抜くと、後段の管理戦略やバリデーションの土台が崩れます。
ライフサイクルを通じた運用:一度きりで終わらせない
QRMは、開発初期に一度リスクを洗い出して文書を作って終わり、ではありません。工程理解が深まれば、当初「怖い」と思っていたリスクが実は小さかったと分かることもあれば、逆に見えていなかったリスクが顕在化することもある。だからQ9は、新しい情報や変更を受けてリスクアセスメントを見直す「リスクレビュー」を明示的に組み込んでいます。
商業生産に入ってからも、逸脱、苦情、傾向の変化、原料ロットの切り替え、設備の経年変化といった出来事のたびに、「このリスク評価の前提はまだ正しいか」を問い直します。ここでも土台になるのがデータの信頼性です。ロットごとの測定値や記録が真正でなければ、どんなリスク評価も砂上の楼閣になります。記録の信頼性を担保する原則はデータインテグリティ(ALCOA+)で整理しています。
| 局面 | QRMの役割 |
|---|---|
| 開発 | CQA・CPPの特定、設計空間・管理戦略の根拠づけ |
| 技術移管・バリデーション | 変更点・スケール差のリスク評価、PPQ範囲の決定 |
| 商業生産 | 逸脱・変更・傾向のリスク評価、レビューでの前提見直し |
| 供給 | 供給・製品入手性(product availability)のリスク管理 |
2023年のICH Q9(R1)は、この運用面でいくつかの論点を強調しました。第一に、リスク評価には避けがたく主観が入り込むこと(同じ工程でも評価者によって点数が変わりうる)を明示し、より客観的な評価を目指すよう促しています。第二に、前述のformality(形式性)の考え方を整理しました。第三に、品質問題が薬不足(drug shortage)につながりうることを踏まえ、供給や製品の入手性にかかわるリスクも管理対象だと位置づけました。
QRMはライフサイクルを通じて回り続ける営みであり、Q9(R1)はその運用の質——主観の抑制、労力の濃淡、供給まで視野に入れること——を問い直した改訂 だと捉えると、実務での使いどころが見えてきます。
まとめ
品質リスクマネジメント(ICH Q9)は、製造上の「起こりうる不都合」を体系立てて洗い出し、患者への影響という物差しで優先順位をつけ、限られたリソースを効かせる枠組みです。FMEA・FMECA・HACCPといった手法はリスクを見える化するための道具であり、目的とかけられる情報量に合わせて選ぶもの。RPNのような点数化には限界があることも、使ううえで押さえておきたい点です。
QRMは、CQA・CPPの特定、変更管理、逸脱処理、供給管理など、製造の日々の意思決定に幅広く効いてきます。一度きりの活動ではなく、ライフサイクルを通じて前提を見直しながら回り続けるものです。2023年のQ9(R1)は、主観性の抑制、formality(労力の濃淡)、供給リスクへの目配りといった運用の質を改めて問い直しました。さらに深めたいなら、プロセスバリデーションやデータインテグリティ(ALCOA+)と並べて読むと、リスクアセスメントが工程保証やデータの信頼性とどう噛み合うのかが見えてきます。
参考文献
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