CHO培養の乳酸「代謝シフト」とは? 生産から消費への切替を読み解く
培養14日目、生存率が落ちて力価が伸びない。データを遡ると、たいてい同じ場所に行き着きます。乳酸です。増殖期にぐんぐん溜まり、培養液を酸性に傾け、中和のために入れたアルカリがナトリウムを持ち込み、浸透圧を押し上げる。最後に細胞が弱ります。グルコース微生物発酵でエネルギー源となる糖類などの炭素源と、目的遺伝子の発現を促す誘導物質のことです。詳しく →を絞れば乳酸は減りますが、今度は後半で失速する。どこで折り合うかが決まらないまま、次のバッチが始まります。ドミノの一枚目は乳酸でも、倒れる直前の一枚は浸透圧溶液中の溶質濃度で決まる、水を引き込む圧。培養では上昇が細胞ストレスになる管理項目。詳しく →です。

ところが多くの培養では、このドミノが途中で止まります。溜まる一方だった乳酸が中盤で蓄積をやめ、やがて減り始める。細胞が自分で出した乳酸を、今度は炭素源として拾い直すからです。これを乳酸の代謝シフト(lactate metabolic shift培養中盤に乳酸が生産から消費へ切り替わる現象。きれいに起きると生存率・力価・品質が安定しやすい。詳しく →)と呼びます。核心は一点で、シフトは起きるか起きないかを見守る現象ではなく、条件を積んで起こしにいく対象だということ。機序が完全に解明されていないことと、制御できないこととは別の話です。
本稿では、乳酸が溜まる仕組みから始めて、細胞に効き始める濃度、シフトの引き金、グルコースの与え方、pHと浸透圧の扱い、株側の改変、そして測り方までを整理します。最後に、決める順番を並べます。数値は細胞株と培地細胞を体外で生存・増殖させるために必要な栄養・エネルギー源・成長因子などを含む液体または固体の環境基盤。詳しく →で動くので、効く向きのほうを持ち帰ってください。引き金を疑う順番だけは、どの株でもだいたい同じです。
- 乳酸の代謝シフトは、グルコースが潤沢な増殖期の生産から、減った段階での消費への切替です。
- 引き金はグルコースやグルタミンの枯渇、溶存二酸化炭素、そして培地の銅で、細胞株の性質にも左右されます。
- 狙って起こす基本は、添加のたびに立つグルコースの山を消し、pHと浸透圧を一体で管理することです。
乳酸が溜まる仕組み ― 解糖の逃がし弁
増殖期に乳酸が溜まるのは、細胞が壊れているからではありません。
培養液にグルコースが潤沢にあると、CHO細胞はそれを解糖系で一気に分解します。ところがミトコンドリアのピルビン酸処理能力には上限がある。あふれたぶんは乳酸脱水素酵素(LDH)によって乳酸へ流されます。過剰なグルコースに対する逃がし弁です。細胞外グルコースが 4 g/L を超えるあたりから、この余剰代謝(オーバーフロー代謝グルコースが潤沢なとき解糖が過剰になり、余った分を乳酸として排出する余剰代謝。詳しく →)は強く働きます。
数え方を一つ決めておくと話が早くなります。グルコース1分子から乳酸2分子が理論上の上限で、増殖期のCHO抗体など組換えタンパク質の生産に広く使われる、チャイニーズハムスター卵巣由来の培養細胞です。詳しく →培養では、乳酸/グルコースのモル比がこの上限に近いところまで上がります。与えた糖のほとんどが、抗体にも細胞にもならず乳酸になっているということです。比が 1 を割り込んできたら、酸化的代謝の割合が上がってきた合図として読みます。乳酸は異常の産物ではなく、糖を与えすぎた設計の副産物です。
どこから効き始めるか ― 20 mM と 40 mM
乳酸そのものが細胞を痛めつける濃度は、意外と高いところにあります。
報告されている目安は二段です。20 mM を超えたあたりから組換えタンパク質遺伝子組換えで微生物や細胞に作らせた目的タンパク質。宿主により折りたたみやコスト、糖鎖が異なる。詳しく →の生産量が落ち始め、40 mM を超えると増殖そのものが大きく損なわれます。乳酸の分子量は 90 なので、それぞれ 1.8 g/L と 3.6 g/L。大規模なフェドバッチ種培養で増やした細胞を大型の培養槽に移し、目的物質を本格的に産生させる最終段階の培養です。栄養を追加しながら育てるフェドバッチが広く使われます。詳しく →や灌流では 80 mM を超える例も報告されています。
注意したいのは、20 mM に届く前から培養が苦しくなる場合があることです。乳酸が直接効いているのではなく、pH補正に使ったアルカリが浸透圧を押し上げている。同じ 25 mM でも、pH制御の効き方が違えば結末は変わります。
濃度の数字だけを見て安心も心配もできないのは、効いている相手が乳酸とは限らないからです。
消費へ転じる引き金 ― 基質、pCO₂、そして銅
では、なぜ途中で消費に転じるのか。
まずグルコースの減少です。解糖のフラックスが落ちれば、乳酸を作る駆動力そのものが弱まります。細胞内のピルビン酸・乳酸・水素イオンのプールが下がると、モノカルボン酸輸送体乳酸などを細胞内外へ運ぶ輸送体。細胞内プールが下がると向きが逆転し、乳酸の取り込みが進む。(MCT)の向きが逆転し、取り込みが進むと説明されています。多くの系で、培養 4〜6日目 あたりに切替が観察されます。グルタミン細胞のエネルギー源・窒素源となるアミノ酸。細胞の代謝でも培地中の化学分解でもアンモニアを放出する。詳しく →が先に枯れた場合は、グルコースがまだ残っていても乳酸生産が低く抑えられることがあります。
溶存二酸化炭素培養液に溶けた二酸化炭素の分圧。大スケールで溜まりやすく、高すぎると増殖・生産性・品質を落とす。詳しく →も効きます。pCO₂ が高い条件では、乳酸の代謝シフトが妨げられる方向に働くという報告があります。大型槽ほど二酸化炭素は抜けにくいので、小型で起きたシフトが本番で起きないという食い違いは、ここから来ることがあります。
意外な伏線が銅です。細胞外の銅が検出限界検出できる最小量。分析法の性能を示すバリデーション項目の一つ。詳しく →の 13 nM を上回っていた培養ではシフトが起き、下回った培養ではシフトせず、力価も明確に低かったという報告があります。初期の銅濃度を 20倍 に引き上げることで、正味の生産から正味の消費へ振り替えた例もあります。銅は微量元素の一つとして培地に入っているだけなので、ロット差が出ても気づきにくい。
シフトが起きない培養を前にしたとき、最初に疑うのはグルコースの与え方で、次に疑うのは培地の微量元素です。
乳酸の代謝シフトは、単一の機序で説明できる現象ではありません。グルコースとグルタミンの残量、溶存二酸化炭素、培地の銅、そして細胞株の性質が重なって現れ方が決まります。制御軸を一つに賭けないところから設計が始まります。
グルコースの与え方 ― ボーラスと連続供給
制御の中心はグルコースです。ただし、絞ればいいという話ではありません。
ボーラス添加は一度に高濃度へ戻します。添加直後にグルコースが跳ね上がり、その山のぶんだけ余剰代謝が走る。連続供給に切り替えると、この山が消えます。栄養の投入量が多い条件でボーラスと連続供給を比べた報告では、培養後半の乳酸がおよそ 45% 下がり、抗体の発現量は 10% 近く上がりました。浸透圧も下がり、高マンノース型マンノースに富むN型糖鎖。フコースを欠くがクリアランスが速く、ADCC増強手段としては別扱いで監視する。詳しく →の糖鎖タンパク質に付加される糖の鎖状構造で、抗体の有効性・免疫原性などに影響する重要な品質特性。詳しく →が減ったという結果が同じ報告に出ています。
設定値の置き方としては、グルコースを 4 g/L 前後に制御する組み方や、それに加えて乳酸を 2 g/L に保つ制御を併用する組み方が文献に示されています。グルコースをさらに低いレンジへ落とせば乳酸/グルコース比は下がりますが、絞りすぎれば増殖も力価も落ちます。フィードフェドバッチで追い足す濃縮した栄養液。いつ・どれだけ・どう入れるかが生産性と品質を左右する。詳しく →組成そのものの設計は培地開発とDoEの側の仕事です。
レンジの上端を下げるより、添加のたびに立つ山を消すほうが、乳酸にはよく効きます。
pHと浸透圧 ― 乳酸を見ているとき本当に見ているもの
冒頭のドミノを、ここで最後まで並べます。
乳酸が溜まる。培養液が酸性に傾く。pHを保つために水酸化ナトリウムなどの塩基を入れる。ナトリウムイオンが増える。浸透圧が上がる。細胞が弱り、生存率細胞集団のうち生きている細胞の割合。凍結・培養の品質を示す基本指標。詳しく →が落ちて力価が下がる。最適化が足りないフェドバッチが終盤で失速するとき、たいていこの型をなぞっています。
基礎培地の浸透圧はおおむね 300 mOsm/kg 前後に置かれます。培養が進んで 400 mOsm/kg を超えてくると、増殖は明確に鈍ります。厄介なのは、この上昇の大半が乳酸の中和低pH条件で溶出されたサンプルに緩衝液を加えてpHを中性付近に戻し、製品へのダメージを防ぐ操作。詳しく →で持ち込まれたナトリウムだということ。pHの下限を少し下げて塩基の投入量を減らす運転が使われるのは、そのためです。ただし行きすぎれば、今度はpHそのものが品質に効きます。CHO培養のpHとCO₂制御は、この兼ね合いを正面から扱っています。
一方で、浸透圧が上がること自体が常に悪いわけではありません。適度な上昇が比生産性細胞1個あたりが単位時間に産生する製品量。細胞数によらず産生能を比べるための指標。詳しく →を押し上げる場合もあります。乳酸経由で受動的に上がった浸透圧と、設計として置いた浸透圧は、同じ数字でも意味が違う。糖鎖のパターンは浸透圧とアンモニアグルタミンの代謝と化学分解で生じる代謝副産物。蓄積すると増殖・生存を落とし、糖鎖の質にも影響する。詳しく →の両方に反応するので、乳酸を抑える運転を入れたら糖鎖の指標も並べ直します。アンモニアの管理と合わせて読むと、培養後半の代謝が一枚の絵として見えてきます。
乳酸のグラフを読んでいるつもりのとき、実際に効いているのはその先の浸透圧です。
株側で変える ― LDHとPDKを下げる
工程条件で届かないときは、細胞の側を変える手があります。
乳酸脱水素酵素A(LDHa)とピルビン酸脱水素酵素キナーゼピルビン酸のミトコンドリアでの処理を抑える酵素。発現を下げると乳酸蓄積を減らせる報告がある。(PDHK)の発現を同時に下げると、ピルビン酸がミトコンドリアで処理されやすくなります。抗体を産生するCHOでこの二つをノックダウン核酸医薬などで標的遺伝子の発現を下げること。細胞での薬効指標になる。詳しく →した報告では、乳酸の産生がおよそ 90% 減り、比生産性が 75%、容積生産量が 68% 上がりました。増殖にはほとんど影響が出ていません。2 L 槽での検証では、最終力価がおよそ 125% 増えています。
効き幅は大きい。ただし前提があります。これは細胞株開発の段階で決める話で、動いている工程にあとから足すことはできません。スクリーニングで力価だけを見て上位を選ぶと、乳酸の出方が悪いクローンをそのまま製造株にしてしまいます。
株側の改変は効き幅が大きいぶん、判断の期限が早い。
測らないと制御できない ― 分析計とインライン
制御の前提は、乳酸とグルコースが見えていることです。
オフラインでは、Nova Biomedical の BioProfile FLEX2 や Roche CustomBiotech の Cedex Bio といった培養液分析計が、グルコースと乳酸に加えてアンモニアや浸透圧までまとめて返します。生細胞密度と生存率は Beckman Coulter の Vi-CELL や Roche の Cedex HiRes で取ります。ただし1日1回のサンプリングでは、ボーラス添加フィードを1日一度などまとめて一気に加える方式。操作は簡単だが浸透圧や栄養濃度が急に上下する。の直後に立つ山は見えません。見えていない山は、消しようがない。
インラインへ寄せる選択肢もあります。ラマン分光光を当てて分子固有の散乱スペクトルを捉え、培養液中の糖や代謝物などの濃度を無菌のまま連続監視する手法です。抜き取り不要で測れます。詳しく →でグルコースを推定し、その値でフィードポンプを動かす制御はラマン分光のPAT応用の側で扱っています。pHと溶存酸素は Hamilton や Mettler-Toledo のプローブ、槽は Sartorius の Biostat STR、Cytiva の Xcellerex XDR、Thermo Fisher Scientific の DynaDrive、Merck の Mobius といったシングルユース使い捨ての樹脂製バッグや容器を用いる製造方式です。洗浄・滅菌の手間を減らせる一方、ステンレス設備と比べて特徴が異なり、目的に応じて選び分けます。詳しく →槽が並びます。条件を振って引き金を探す実験なら、Sartorius の Ambr のような小型並列槽で一巡します。
サンプリング間隔より速く動く現象は、その間隔では制御できません。
乳酸は単独で読む指標ではありません。グルコース、pH、塩基の積算添加量、浸透圧、アンモニア、そして糖鎖。この六つを同じ時間軸に並べて初めて、乳酸のグラフが何を意味しているかが読めます。
決める順番
最後に、順番を並べます。
先に決まるのはグルコースの与え方です。ボーラスか連続供給か。設定レンジをいくつに置くか。 添加の山を残したまま設定値だけ下げても、余剰代謝は消えません。
次にpHの下限と、中和に使う塩基を決めます。ここが浸透圧の上がり方をほぼ決めるので、乳酸の数字より先に置く対象です。塩基の積算添加量を毎日記録しておくと、浸透圧が上がった理由をあとから切り分けられます。
そのうえで、シフトが起きないときの当たりを順に付けます。グルコースの山、溶存二酸化炭素、培地の銅とロット差。この順に疑うと外れが少ない。 小型で起きたシフトが本番で起きないときは、まず pCO₂ を疑います。
最後に、株側の選択肢を開発日程のどこへ置くかを決めます。LDHとPDKの改変は効きますが、細胞株構築目的タンパク質を安定して高く産生する細胞のクローンを選び出し、製造に使える産生細胞株として確立する工程です。詳しく →を過ぎた工程には足せません。本培養の運転で詰める範囲と、株で取りにいく範囲の境目を、先に引いておきます。
参考文献
- Zhou M et al., Decreasing lactate level and increasing antibody production in Chinese Hamster Ovary cells (CHO) by reducing the expression of lactate dehydrogenase and pyruvate dehydrogenase kinases, Journal of Biotechnology, 2011.
- Yuk IH et al., Effects of copper on CHO cells: Insights from gene expression analyses, Biotechnology Progress, 2014.
- Brunner M et al., Elevated pCO2 affects the lactate metabolic shift in CHO cell culture processes, Engineering in Life Sciences, 2018.
- Xu J et al., Continuous Feeding Reduces the Generation of Metabolic Byproducts and Increases Antibodies Expression in Chinese Hamster Ovary-K1 Cells, Life, 2021.
- ICH Q8医薬品開発とQbDの考え方を示すICHガイドライン。重要品質特性(CQA)を定義している。詳しく →(R2), Pharmaceutical Development
- ICH Q11原薬の開発・製造を扱い、原薬側の管理戦略の作り込みを示すICHのガイドライン。詳しく →, Development and Manufacture of Drug Substances
- ICH Q6B生物薬品の規格・試験方法の設定の考え方を示すICHガイドライン。力価などの規格を扱う。詳しく →, Specifications: Test Procedures and Acceptance Criteria for Biotechnological/Biological Products
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