抗体医薬基礎知識・培養

CHO培養の乳酸「代謝シフト」とは? 生産から消費への切替を読み解く

培養後半で生存率細胞集団のうち生きている細胞の割合。凍結・培養の品質を示す基本指標。が落ち、力価が伸びきらない——そこを掘り下げると、たいてい同じ場所に突き当たります。乳酸です。

ただし、乳酸そのものが細胞を殺しているわけではありません。問題は、そこから続くドミノの連鎖にあります。乳酸が溜まる、pHが下がる、中和のため塩基を入れる、ナトリウムが増えて浸透圧溶液中の溶質濃度で決まる、水を引き込む圧。培養では上昇が細胞ストレスになる管理項目。が上がる、細胞が弱る——このドミノの最初の一枚が乳酸であるだけで、実際に効いているのは終盤の浸透圧だったりします。つまり、乳酸を見ているつもりのとき、本当に見ているのは浸透圧です。

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CHO培養の乳酸「代謝シフト」とは? 生産から消費への切替を読み解く

そして多くの培養では、このドミノが途中で止まります。増殖期にどんどん溜まっていた乳酸が、中盤にさしかかると蓄積を止め、やがて減り始める。細胞が、自分で出した乳酸を今度は取り込んで使い始めるからです。この「生産から消費への切替」を乳酸の代謝シフト(lactate metabolic shift培養中盤に乳酸が生産から消費へ切り替わる現象。きれいに起きると生存率・力価・品質が安定しやすい。)と呼びます。シフトがきれいに起きた培養では生存率が保たれ、力価も品質も安定しやすい。だから乳酸の挙動は、工程がうまく回っているかどうかの目印として扱われます。

ただ、この切替は確実に起きるとは限りません。しかも狙って起こすのが簡単ではない。グルコース微生物発酵でエネルギー源となる糖類などの炭素源と、目的遺伝子の発現を促す誘導物質のことです。詳しく →グルタミン細胞のエネルギー源・窒素源となるアミノ酸。細胞の代謝でも培地中の化学分解でもアンモニアを放出する。の残量、pH、細胞株の性質と、関わる要因は複数にまたがり、機序も完全には解明されていません。同じ細胞株でも、グルコースの与え方を少し変えただけで起きたり起きなかったりする——それくらい条件に敏感な現象だということです。

この記事の要点
  • 乳酸の代謝シフトは、グルコースが潤沢な増殖期の生産から、減った段階での消費への切替です。
  • 引き金はグルコースやグルタミンの枯渇、pH・二酸化炭素で、細胞株の性質にも左右されます。
  • 狙って起こす基本は、グルコースを低めのレンジで連続供給し、pH・浸透圧を一体で管理することです。

乳酸はなぜ溜まり、なぜ消費に転じるのか

増殖期に乳酸が溜まる仕組みは、意外と単純です。培養液にグルコースが潤沢にあると、CHO細胞はそれを解糖系で一気に分解します。ところがミトコンドリアの処理能力には上限がある。生じたピルビン酸が処理しきれないぶんだけ、乳酸脱水素酵素(LDH)によって乳酸へ流されます。過剰なグルコースに対する「逃がし弁」、それが乳酸です。細胞外グルコースがおおむね4 g/Lを超えるような条件で、この余剰代謝(オーバーフロー代謝グルコースが潤沢なとき解糖が過剰になり、余った分を乳酸として排出する余剰代謝。)は強く働きます。

では、なぜ途中で消費に転じるのか。グルコースが減れば解糖系の勢いが落ち、乳酸を作る駆動力そのものが弱まります。すると細胞は、これまで捨てていた乳酸を炭素源として拾いにいく。細胞内のピルビン酸・乳酸・水素イオンのプールが下がると、乳酸を運ぶ輸送体(モノカルボン酸輸送体乳酸などを細胞内外へ運ぶ輸送体。細胞内プールが下がると向きが逆転し、乳酸の取り込みが進む。)の向きが逆転し、取り込みが進む——という説明がなされています。取り込まれた乳酸はミトコンドリアの酸化的代謝に回るため、シフト後はミトコンドリアの活性が相対的に高まる傾向も観察されています。

POINT

乳酸の代謝シフトとは、グルコースが潤沢な増殖期の「余剰代謝による生産」から、グルコースが減った段階での「炭素源としての消費」への切替です。輸送体の向きの逆転と、ミトコンドリア酸化の相対的な高まりが関わります。

なお、この生産から消費への切替は、⁠一つの機序だけで起きるわけではなく、複数の要因が重なって現れる現象 です。次の節で、どんな条件が引き金になるかを見ていきます。

シフトが起きる条件

代謝シフト培養中盤に乳酸が生産から消費へ切り替わる現象。きれいに起きると生存率・力価・品質が安定しやすい。の引き金として、主に基質の枯渇とpHが報告されています。

  • グルコースの枯渇・低下⁠:最も中心的な引き金です。グルコースが減って解糖のフラックス膜を単位時間・単位面積あたり透過していく流れの量。粘度に反比例し、高濃度で大きく低下する。が落ちると、乳酸生産の駆動力が弱まり、消費へ転じやすくなります。多くの系で、培養4〜6日目あたりに切替が観察されます。
  • グルタミンの枯渇⁠:グルタミンが枯れて切替が起きる場合、培養液にグルコースがまだ残っていても、乳酸の生産が非常に低く抑えられることがあります。
  • pH・溶存二酸化炭素培養液に溶けた二酸化炭素の分圧。大スケールで溜まりやすく、高すぎると増殖・生産性・品質を落とす。⁠:pHや溶存二酸化炭素(pCO2培養液に溶けた二酸化炭素の分圧。大スケールで溜まりやすく、高すぎると増殖・生産性・品質を落とす。)もシフトの現れ方に影響します。pCO2が高い条件では、乳酸の代謝シフトが妨げられる方向に働くという報告があります。
  • 細胞株の性質⁠:同じ工程でも、シフトがきれいに起きる株とそうでない株があります。この切替は汎用的に起きるものではなく、株依存の性質が残ります。

これらは独立に効くわけではなく、互いに絡み合います。グルコースを絞れば乳酸は減る。ただし絞りすぎれば、後半の失速を招きます。⁠シフトは単一の条件で決まるものではなく、基質・pH・株の組み合わせで現れ方が変わります 。狙って起こすなら、制御軸を一つに賭けず組み合わせるしかありません。

狙ってシフトを起こす制御

代謝シフトは自然に起きるのを待つものではなく、工程設計で起こしやすくする余地があります。中心になるのはグルコースの与え方とpHの管理です。

グルコースを絞って与える

最も直接的なのは、グルコースを高く保ちすぎないことです。増殖期にグルコースを潤沢に置くほど余剰代謝グルコースが潤沢なとき解糖が過剰になり、余った分を乳酸として排出する余剰代謝。が強まり、乳酸が溜まります。ボーラス(一括投与)で高濃度に戻すのではなく、低めのレンジで連続的に供給する制御が用いられます。文献では、グルコースをおおむね数g/L培養液1リットルあたり何グラム産生できるかという上流の生産性。上がるほど下流の負荷も増す。以下の低いレンジに保つと、乳酸/グルコースのモル比が下がり、より効率的な代謝状態へ寄せられると報告されています。ただし絞りすぎは増殖と力価を落とすため、レンジの設定が肝になります。

グルコースの代わり、あるいは併用として、ガラクトース細胞表面の糖鎖に含まれる単糖の一種で、一部のAAV血清型が細胞へ付着する際に認識する分子。を炭素源に使う工夫も研究されています。ガラクトースは解糖のフラックスを上げにくく、酸化的代謝を促す方向に働くとされており、乳酸の再取り込みを伴う代謝状態が観察されています。

pHと浸透圧を管理する

pHの下限を低めに許容する運転(乳酸蓄積で下がったpHをすぐ塩基で戻しすぎない)は、乳酸生産を抑える方向に働くことがあります。ただしこれは浸透圧やpCO2との兼ね合いで、行きすぎれば別の悪影響が出ます。pH・二酸化炭素・浸透圧は一体で見る対象です。

細胞株側の工夫

工程条件だけでなく、細胞株側で乳酸代謝を変える研究も進んでいます。LDHやピルビン酸脱水素酵素キナーゼピルビン酸のミトコンドリアでの処理を抑える酵素。発現を下げると乳酸蓄積を減らせる報告がある。(PDK)の発現を下げると、ピルビン酸がミトコンドリアで処理されやすくなり、乳酸の蓄積を減らしつつ抗体の生産量を高められたという報告があります。ただしこうした株改変は、開発初期の細胞株構築目的タンパク質を安定して高く産生する細胞のクローンを選び出し、製造に使える産生細胞株として確立する工程です。詳しく →に関わる選択であり、既存工程にそのまま適用できるものではありません。

POINT

狙ってシフトを起こす基本は、グルコースを低めのレンジで連続供給し、pH・浸透圧を一体で管理することです。株側でLDHやPDKを調整する選択肢もありますが、これは細胞株構築段階の話になります。

力価・品質への意味

冒頭に書いたドミノを、ここで最後まで並べます。乳酸が溜まると培養液は酸性に傾く。pHを保つために塩基(水酸化ナトリウムなど)を加える。すると今度はナトリウムイオンが増え、浸透圧が上がります。高くなりすぎた浸透圧は細胞を弱らせ、生存率を削り、力価を落とす。乳酸→低pH→塩基添加→高浸透圧→生存率低下。最適化が足りないフェドバッチ種培養で増やした細胞を大型の培養槽に移し、目的物質を本格的に産生させる最終段階の培養です。栄養を追加しながら育てるフェドバッチが広く使われます。詳しく →が失速するとき、たいていこの型をなぞっています。

力価だけに効くわけではありません。浸透圧の変化は抗体の糖鎖パターンにも及びますし、乳酸を抑える運転でアンモニアが同時に下がると、ガラクトシル化糖鎖にガラクトースが付加される度合い。CDC活性と相関する報告があり、集約指標として管理される。などの糖鎖タンパク質に付加される糖の鎖状構造で、抗体の有効性・免疫原性などに影響する重要な品質特性。指標が動くことも報告されています。乳酸は単独で読む指標ではなく、pH・浸透圧・アンモニア・糖鎖とセットで意味を持ちます。

一方で、浸透圧を上げること自体が常に悪いわけではありません。適度な浸透圧の上昇が比生産性細胞1個あたりが単位時間に産生する製品量。細胞数によらず産生能を比べるための指標。を押し上げる場合もあり、乳酸経由で受動的に上がる浸透圧と、設計として調整する浸透圧は分けて考える必要があります。乳酸の代謝シフトを整えることは、こうした複数の指標を望ましい範囲に収めるための土台になります。実際の工程設計では、シフトを促す条件を本培養の運転パラメータとして作り込み、培地細胞を体外で生存・増殖させるために必要な栄養・エネルギー源・成長因子などを含む液体または固体の環境基盤。・フィード側は培地開発とDoEで乳酸を抑えつつ力価を保つ組成へ寄せていく、という組み合わせで進めるのが現実的です。

まとめ

乳酸の代謝シフトとは、グルコースが潤沢な増殖期の余剰代謝による「生産」から、グルコースが減った段階での炭素源としての「消費」への切替でした。引き金はグルコースやグルタミンの枯渇、pHや二酸化炭素、そして株の性質。狙って起こす基本は、グルコースを低めのレンジで連続供給しつつ、pHと浸透圧を一体で管理することです。

ただ、この記事でいちばん持ち帰ってほしいのは機序の名前ではありません。⁠乳酸のグラフを見ているとき、実際に効いているのはその先の浸透圧だ⁠、という一点です。乳酸→低pH→塩基添加→高浸透圧という連鎖を断てるかどうかが、力価も生存率も糖鎖品質も左右します。機序が完全には解明されていない現象である以上、単一の指標で判断せず、基質・pH・浸透圧・品質をまとめて読むほうが確実です。

参考文献

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編集メモ:この記事はProglenth編集部が、抗体医薬に関する基礎的な情報を、はじめての方にも分かるように整理したものです。実際の製造方法・管理戦略・品質基準は、製品や企業、各国の規制によって異なります。本記事は一般的な解説であり、特定製品の推奨や規制・医療上の助言ではありません。実務で判断される際は、各極の薬局方・ガイドライン(ICH/GMP等)やメーカーの一次情報を必ずご確認ください。内容に誤りやご指摘があればお問い合わせからお知らせください。