CHO培養の乳酸「代謝シフト」とは? 生産から消費への切替を読み解く
CHO細胞のフェドバッチ培養では、増殖期に乳酸がどんどん溜まっていきます。ところが培養が中盤にさしかかると、多くの系で乳酸の蓄積が止まり、やがて逆に減り始めます。細胞が自分で出した乳酸を、今度は取り込んで使い始めるためです。この「生産から消費への切替」を、一般に乳酸の代謝シフト(lactate metabolic shift)と呼びます。

この切替は、単なる副産物の増減の話にとどまりません。乳酸が溜まり続ける培養は、pHが下がり、その中和のために塩基を入れることで浸透圧が上がり、細胞が早く弱ります。逆にシフトがきれいに起きた培養は、生存率が保たれ、力価も品質も安定しやすい傾向が報告されています。乳酸の挙動は、プロセスがうまく回っているかどうかの目印のように扱われます。
やっかいなのは、この切替が確実に起きるとは限らず、狙って起こすのも簡単ではない点です。関わる要因は、グルコースやグルタミンの残量、pH、細胞株の性質など複数にまたがり、機序も完全には解明されていません。本稿では、なぜシフトが起きるのかという機序、どんな条件で起きやすいのか、そして狙って起こすための制御と、力価・品質への意味を整理します。
乳酸はなぜ溜まり、なぜ消費に転じるのか
まず、増殖期に乳酸が溜まる仕組みから押さえます。培養液にグルコースが潤沢にあると、CHO細胞はそれを解糖系で速く分解します。生じたピルビン酸をミトコンドリアが処理しきれないと、余った分が乳酸脱水素酵素(LDH)によって乳酸へ流されます。過剰なグルコースの「逃がし弁」として乳酸が出る、という理解が一般的です。細胞外グルコースがおおむね4 g/Lを超えるような潤沢な条件では、この余剰代謝(オーバーフロー代謝)が強く働きやすいとされます。
やがてグルコースが減ってくると、解糖系の勢いが落ち、乳酸を作る駆動力が弱まります。ここで細胞は、これまで捨てていた乳酸を炭素源として取り込む向きへ切り替わります。細胞内のピルビン酸・乳酸・水素イオンのプールが下がると、乳酸を運ぶ輸送体(モノカルボン酸輸送体)の向きが逆転し、乳酸の取り込みが進むと説明されています。取り込まれた乳酸はミトコンドリアの酸化的代謝に回り、シフト後はミトコンドリアの活性が相対的に高まる傾向が観察されています。
乳酸の代謝シフトは、グルコースが潤沢な増殖期の「余剰代謝による生産」から、グルコースが減った段階での「炭素源としての消費」への切替です。輸送体の向きの逆転とミトコンドリア酸化の相対的な高まりが関わります。
なお、この生産から消費への切替は、一つの機序だけで起きるわけではなく、複数の要因が重なって現れる現象 です。次の節で、どんな条件が引き金になるかを見ていきます。
シフトが起きる条件
代謝シフトの引き金として、主に基質の枯渇とpHが報告されています。
- グルコースの枯渇・低下:最も中心的な引き金です。グルコースが減って解糖のフラックスが落ちると、乳酸生産の駆動力が弱まり、消費へ転じやすくなります。多くの系で、培養4〜6日目あたりに切替が観察されます。
- グルタミンの枯渇:グルタミンが枯れて切替が起きる場合、培養液にグルコースがまだ残っていても、乳酸の生産が非常に低く抑えられることがあります。
- pH・溶存二酸化炭素:pHや溶存二酸化炭素(pCO2)もシフトの現れ方に影響します。pCO2が高い条件では、乳酸の代謝シフトが妨げられる方向に働くという報告があります。
- 細胞株の性質:同じ工程でも、シフトがきれいに起きる株とそうでない株があります。この切替は汎用的に起きるものではなく、株依存の性質が残ります。
これらは独立ではなく、絡み合って作用します。たとえばグルコースを絞れば乳酸は減りますが、絞りすぎれば後半の失速につながります。シフトは単一の条件で決まるものではなく、基質・pH・株の組み合わせで現れ方が変わります 。だからこそ、狙って起こすには複数の制御軸を組み合わせる必要があります。
狙ってシフトを起こす制御
代謝シフトは自然に起きるのを待つだけでなく、工程設計で起こしやすくする余地があります。中心になるのはグルコースの与え方とpHの管理です。
グルコースを絞って与える
最も直接的なのは、グルコースを高く保ちすぎないことです。増殖期にグルコースを潤沢に置くほど余剰代謝が強まり、乳酸が溜まります。ボーラス(一括投与)で高濃度に戻すのではなく、低めのレンジで連続的に供給する制御が用いられます。文献では、グルコースをおおむね数g/L以下の低いレンジに保つと、乳酸/グルコースのモル比が下がり、より効率的な代謝状態へ寄せられると報告されています。ただし絞りすぎは増殖と力価を落とすため、レンジの設定が肝になります。
グルコースの代わり、あるいは併用として、ガラクトースを炭素源に使う工夫も研究されています。ガラクトースは解糖のフラックスを上げにくく、酸化的代謝を促す方向に働くとされ、乳酸の再取り込みを伴う代謝状態が観察されています。
pHと浸透圧を管理する
pHの下限を低めに許容する運転(乳酸蓄積で下がったpHをすぐ塩基で戻しすぎない)は、乳酸生産を抑える方向に働くことがあります。ただしこれは浸透圧やpCO2との兼ね合いで、やりすぎれば別の悪影響が出ます。pHと二酸化炭素、浸透圧は一体で見る対象です。
細胞株側の工夫
工程条件だけでなく、細胞株側で乳酸代謝を変える研究も進んでいます。LDHやピルビン酸脱水素酵素キナーゼ(PDK)の発現を下げると、ピルビン酸がミトコンドリアで処理されやすくなり、乳酸の蓄積を減らしつつ抗体の生産量を高められたという報告があります。ただしこうした株改変は、開発初期の細胞株構築に関わる選択であり、既存工程にそのまま適用できるものではありません。
狙ってシフトを起こす基本は、グルコースを低めのレンジで連続供給し、pH・浸透圧を一体で管理することです。株側でLDHやPDKを調整する選択肢もありますが、これは細胞株構築段階の話になります。
力価・品質への意味
代謝シフトが注目されるのは、それが力価と品質に直結するからです。乳酸が溜まり続ける培養と、シフトがきれいに起きる培養では、後半の挙動が大きく変わります。
乳酸蓄積の悪循環は、次のように連鎖します。乳酸が溜まると培養液が酸性に傾き、pHを保つために塩基(水酸化ナトリウムなど)を加えます。この塩基添加でナトリウムイオンなどが増え、浸透圧が上がります。浸透圧が高くなりすぎると細胞が弱り、生存率が落ち、結果として力価が下がります。乳酸→低pH→塩基添加→高浸透圧→生存率低下、という流れは、最適化が不十分なフェドバッチでよく見られる失速の型です。
品質面でも影響があります。浸透圧の変化は抗体の糖鎖パターンに影響し得ますし、乳酸を抑える運転でアンモニアも同時に下がると、ガラクトシル化などの糖鎖指標が動くことが報告されています。乳酸は単独の指標ではなく、pH・浸透圧・アンモニア・糖鎖と連動して品質に効いてきます。
一方で、浸透圧を上げること自体が常に悪いわけではありません。適度な浸透圧の上昇が比生産性を押し上げる場合もあり、乳酸経由で受動的に上がる浸透圧と、設計として調整する浸透圧は分けて考える必要があります。乳酸の代謝シフトを整えることは、こうした複数の指標を望ましい範囲に収めるための土台になります。実際の工程設計では、シフトを促す条件を本培養の運転パラメータとして作り込み、培地・フィード側は培地開発とDoEで乳酸を抑えつつ力価を保つ組成へ寄せていく、という組み合わせで進めるのが現実的です。
まとめ
乳酸の代謝シフトは、グルコースが潤沢な増殖期の余剰代謝による「生産」から、グルコースが減った段階での炭素源としての「消費」への切替です。引き金はグルコースやグルタミンの枯渇、pHや二酸化炭素で、株の性質にも左右されます。狙って起こすには、グルコースを低めのレンジで連続供給し、pH・浸透圧を一体で管理するのが基本になります。シフトがきれいに起きるかどうかは、乳酸→低pH→塩基添加→高浸透圧という悪循環を避けられるかに関わり、力価・生存率・糖鎖品質に連動します。機序が完全には解明されていない現象だけに、単一の指標で判断せず、基質・pH・浸透圧・品質を一体で読むことが大切です。
参考文献
- ICH Q8(R2), Pharmaceutical Development
- ICH Q11, Development and Manufacture of Drug Substances
- ICH Q6B, Specifications: Test Procedures and Acceptance Criteria for Biotechnological/Biological Products
- FDA, Guidance for Industry: Q8(R2) Pharmaceutical Development
- EMA, ICH guideline Q8(R2) on pharmaceutical development