CHO細胞培養のpH制御:CO2散気と重炭酸で酸性・塩基側を動かす
CHO細胞の培養では、pHを狙った範囲に保つことが生産性と品質の土台になります。細胞は代謝で乳酸などの酸を出し、放っておけばpHは下がり続けます。そこで培養液には重炭酸(炭酸水素イオン)を中心とした緩衝系を組み込み、そのうえで装置側からもpHを能動的に動かします。

この能動制御は、酸性側と塩基側の二方向で成り立ちます。pHが高すぎればCO2(二酸化炭素)を吹き込んで下げ、低すぎれば重炭酸ナトリウムや水酸化ナトリウムなどの塩基を足して上げます。仕組み自体はシンプルですが、CO2は溶けて蓄積し、塩基は浸透圧を上げるため、そのまま大きなタンクへ持っていくと思わぬ副作用が出ます。
本稿では、重炭酸緩衝の考え方から、CO2散気と塩基添加の使い分け、溶存CO2(pCO2)の蓄積、pHの死帯(デッドバンド)、そして乳酸・浸透圧との相互作用、大規模でのpCO2ストリッピングまでを順に整理します。
重炭酸緩衝系:なぜCO2でpHが動くのか
哺乳類細胞の培養で最も一般的な緩衝剤は、重炭酸ナトリウム(NaHCO₃)です。これは体内の緩衝系と同じ仕組みで、生理に近い環境を再現しやすい点が選ばれる理由とされています。
化学的には、溶けたCO2が弱い酸としてはたらき、重炭酸イオン(HCO₃⁻)がその共役塩基として釣り合います。CO2が増えれば酸性側に、重炭酸が増えれば塩基性側に振れる、という関係です。両者の比とpHはヘンダーソン・ハッセルバルヒの式で結ばれ、この緩衝系のpKa(緩衝が最もよく効くpHの目安)は概ね六・一から六・四あたりとされています。
ここで注意したいのは、培養の狙いpH(多くの抗体プロセスでおよそ六・八から七・二の範囲)が、このpKaより高い側にあることです。緩衝の中心から外れた領域で運転するため、緩衝の効きは万能ではなく、装置側の能動制御と組み合わせて初めて安定します。 重炭酸緩衝は土台であって、それだけでpHを保てるわけではない です。
重炭酸緩衝系では、溶けたCO2が酸、重炭酸イオンが塩基として釣り合います。だからCO2を吹き込めばpHは下がり、重炭酸や塩基を足せば上がります。この二方向が制御の基本です。
酸性側と塩基側:CO2散気と塩基添加の使い分け
実際のバイオリアクターでは、pHは二方向の制御ループで保たれます。
| 状況 | 動かす向き | よく使う手段 |
|---|---|---|
| pHが設定より高い | 下げる(酸性側) | CO2ガスの散気(吹き込み) |
| pHが設定より低い | 上げる(塩基側) | 重炭酸ナトリウム、炭酸ナトリウム、水酸化ナトリウムなどの塩基添加 |
pHが高いときは、CO2を吹き込んでCO2と重炭酸の平衡を酸性側へずらします。逆にpHが低いときは、塩基をポンプで少しずつ加えます。塩基の代わりに、CO2の吹き込みを止めて別のガス(窒素や空気)でCO2を追い出し、pHを上げる方法もあります。
問題は塩基添加の副作用です。液体の塩基を足すと培養液の浸透圧が上がり、大規模タンクでは混合が追いつかず局所的に高pHの領域ができて、細胞にストレスを与えることがあります。 塩基添加は効くけれど、浸透圧上昇と局所高pHという代償を伴う です。この代償を避けたい場合に、ガスの出し入れだけでpHを保つ制御(空気散気を増減してCO2除去を調整するなど)が検討されます。
pCO2の蓄積:小スケールでは起きない問題
小さなフラスコやスケールでは、CO2の蓄積はあまり問題になりません。液面から表面通気で相当量のCO2が抜けていくためです。ところがタンクが大きくなると事情が変わります。
蓄積の主な理由は二つあるとされます。一つは、CO2が培養液によく溶けること。もう一つは、大きなタンクほど液面が深く、下から入れた気泡が上がる間にCO2で飽和してしまうことです。気泡が液中に滞在する時間は、気泡がCO2で飽和するのに要する数秒よりずっと長いため、気泡はほぼ飽和した状態で液面に達します。つまり散気だけではCO2を十分に抜き切れなくなります。
溶存CO2(pCO2)が高すぎると、CHO細胞の増殖が抑えられ、生産性が大きく落ちることが報告されています。ある報告では、pCO2が概ね一五〇mmHgを超えると増殖阻害と顕著な生産性低下がみられた、とされます。糖鎖(抗体に付く糖の鎖)のパターンなど品質側にも影響が及ぶ場合があります。一方で、生産性が最も高くなるpCO2の範囲を、おおよそ三〇から七六mmHgあたりに置いた報告もあり、狙いは「低ければよい」ではなく適切な帯に収めることにあります。 pCO2は低すぎず高すぎず、条件依存の適正帯に収めるのが要点 です。
pCO2の蓄積は乳酸の代謝挙動とも絡みます。溶存CO2が高いと乳酸の消費への切り替わりが乱れやすいことが指摘されており、この関係はCHO細胞の乳酸代謝シフトの観点からも押さえておきたいところです。
pHの死帯(デッドバンド)と乳酸・浸透圧の相互作用
pHを一点に固定しようとすると、酸添加と塩基添加が交互に働いて制御が落ち着かず、無駄に試薬を使いがちです。そこで実務では、設定値の上下に許容幅を設ける「死帯(デッドバンド)」を使います。たとえばpH七・〇に対して上下〇・〇三といった幅で、この範囲内なら能動制御を動かさない、という考え方です。
この幅の設計は、乳酸と浸透圧の相互作用と切り離せません。CHO細胞では、pHが下がるほど乳酸の生成が進みやすく、乳酸がさらにpHを下げる、という悪循環に入ることがあります。これを止めるには塩基を足してpHを支える必要がありますが、塩基を足すほど浸透圧が上がり、乳酸が過剰に溜まれば増殖が鈍ります。
| 動かす要素 | 連鎖して起きること |
|---|---|
| pHが下がる | 乳酸生成が進み、さらにpHが下がりやすい |
| 塩基を足してpHを支える | 浸透圧とpCO2が上がりやすい |
| 乳酸が過剰に溜まる | pH低下・浸透圧上昇と重なり、増殖が鈍る |
死帯を狭くすればpHは安定しますが、そのぶん塩基やCO2の投入が増え、浸透圧やpCO2の管理が難しくなります。逆に広げれば試薬は減るものの、pHの振れが品質に響くおそれがあります。 死帯の設計は、pHの安定と浸透圧・乳酸・pCO2の抑制とのバランスをとる作業 です。この配線は本培養の運転設計そのものと一体で考える必要があります。
pH・乳酸・浸透圧・pCO2は独立に動きません。塩基を足せばpHは上がる一方で浸透圧とpCO2が上がり、乳酸が溜まればpHが下がる。死帯の幅は、この連鎖を見ながら決めます。
大規模でのpCO2ストリッピング
スケールアップで最後に効いてくるのが、溜まったCO2をいかに抜くか(ストリッピング)です。小スケールで最適だった散気・撹拌の条件が、大きなタンクでそのまま通用するとは限りません。
CO2除去の効率は、気液の接触や液面から抜ける経路に左右されます。表面通気を強めるとCO2除去は進みますが、その改善幅はスケールが大きくなるほど鈍る傾向が指摘されています。タンクが大きくなると、液の体積に対する表面積の比が小さくなるためです。つまり、大きなタンクほど「表面から抜く」経路に頼りにくくなります。
そこで散気側の設計が重要になります。ただし高密度の流加培養では、CO2を抜くために散気を強めると、スパージャー(散気口)から入るガスの流速が上がり、気泡による物理的なストレスが細胞にかかることがあります。ある事例では、二〇〇〇Lの使い捨てバイオリアクターへのスケールアップで、このガス流速の上昇と溜まったpCO2が力価低下の原因として挙げられました。CO2を抜こうとする操作と、細胞を傷めない操作が、しばしば引っ張り合います。 大規模のpCO2管理は、CO2除去と気泡ストレス低減のせめぎ合いを解く設計 です。
こうしたトレードオフは机上だけでは詰め切れないため、CO2の物質移動を表すモデルを使って散気戦略を設計し、実機で検証する進め方が現実的とされています。pH制御は単独の操作ではなく、散気・撹拌・供給と一体の運転設計として組み立てるものだと捉えると、大規模での見通しがよくなります。
まとめ
CHO細胞のpH制御は、重炭酸緩衝という土台の上に、CO2散気(酸性側)と塩基添加(塩基側)の二方向の能動制御を重ねて成り立ちます。仕組みは単純ですが、CO2は溶けて蓄積し、塩基は浸透圧を上げるため、pH・乳酸・浸透圧・pCO2は互いに引っ張り合います。
小スケールでは表面から抜けていたCO2が、大きなタンクでは抜けにくくなり、pCO2の蓄積が増殖や生産性、品質に響きます。死帯(デッドバンド)の設計や、CO2除去と気泡ストレスのバランスをとる散気設計は、いずれもこの相互作用を見ながら決める作業です。pH制御を単独ではなく、散気・撹拌・供給と一体の運転設計として組み立てることが、スケールを越えて安定した培養につながります。