Ramanで培養を制御する:任せてよい範囲と止め方

ラマンインライン計測は、培養液にプローブを浸し、レーザーの散乱光から成分を読む方法です。グルコースや乳酸の濃度を数分おきに推定できるため、その値でフィードポンプを動かす閉ループ制御(フィードバック制御測定値が目標からずれたとき、流速やフィード量などの操作条件を調整する制御。詳しく →)に使われはじめています。
ただし、推定値を作るモデルは、校正の範囲を外れてもエラーを出さず、もっともらしい数字を出し続けることがあります。
この記事では、制御に使う意味、糖化と力価に出た差、閉ループに載せてよい対象、数字が外れたときに止める仕組みを順に説明します。
1. 翌日の値で打つフィード ― 後追いになる理由
培養の判断は長いあいだ、1日1回抜き取って測った値で行われてきました。ラマンの原理と導入前の確認点はラマン分光によるバイオプロセスPATに整理しているため、この記事では測った値で工程を動かすことだけを扱います。
抜き取って測る方式は精度が高い一方で、測るたびに無菌の境界を開けるため、回数を増やすほどコンタミの機会と人手が増えます。結果として1日1回に落ち着き、判断はいつも一巡遅れます。
遅れが痛むのは、培養が速く動く局面です。増殖期から産生期への移り、乳酸が蓄積から消費へ転じる瞬間、グルコースが切れかかる直前は、どれも数時間から半日で進みます。翌日の測定でグルコースが切れていたと分かる頃には、手を打つ機会は過ぎています。
ラマンでは、プローブを浸したまま数分おきの推定値が出ます。その値をコントローラ(設定値と比べて、ポンプなどの操作量を決める部分)に渡し、設定から外れそうならフィードポンプを動かす仕組みが、フィードバック制御です。
グルコースを低めに保てば乳酸の発生が抑えられるため、フィードの打ち方をそのまま制御に乗せられます。
制御に使う意味は、測る頻度が上がることより、判断のタイミングが培養の速さに追いつくことにあります。
2. 動かした結果 ― 糖化と力価に出た差
ラマンでグルコースを制御した培養では、製品の品質と力価に差が報告されています。
Berry らは2016年の Biotechnology Progress で、ラマンから求めたグルコース濃度を使う工程内制御を短期間で立ち上げる方法を報告しました。狙いは、グルコース濃度を意図して保つことで、製品の品質に影響を与えることでした。
2023年の Gibbons らの報告は、2つのCHO細胞株で、ラマンによるグルコースのフィードバック制御と、決めた時刻にまとめて入れる手動のボーラス添加フィードを1日一度などまとめて一気に加える方式。操作は簡単だが浸透圧や栄養濃度が急に上下する。を比べています。
- 一方の細胞株:制御した培養で、糖化(抗体にグルコースが酵素を介さずに結合する変化)が43%から58%ほど減りました。
- もう一方の細胞株:細胞の増殖と生存率が良くなり、力価が25%上がって、糖化の状態も改善したとされています。
どちらも開発段階のバイオリアクター細胞や微生物を、温度・pH・溶存酸素などを制御しながら培養する槽です。数リットルの開発用から数千リットルの商業生産用まであり、ステンレス製と使い捨て(シングルユース)があります。詳しく →での結果で、製造規模で同じ差が出るとは限りません。それでも、グルコースを狙った濃度に保つだけで、力価と品質の両方が動くことは、制御を入れる理由として具体的な数字です。ラマンの予測を条件探索に使った例はラマンとAIで大腸菌発酵の力価が3.3倍に伸びた論文にあります。
ラマンで制御する価値は、速さそのものより、狙った濃度に保つことで製品の品質まで動く場合がある点にあります。
3. 動かしてよい対象 ― 誤差と取り返しのつきやすさ
ラマンで推定できる成分でも、すべてを閉ループに載せてよいとは限りません。線を引く基準は、次の2つです。
- 推定値の誤差:誤差が、制御したい幅に対して十分に小さいかを見ます。
- 操作の取り返しのつきやすさ:その数字で動かす操作が、間違えても取り返せるかを見ます。
誤差の目安は、報告された予測誤差から読めます。フェドバッチ培養でグルコースと乳酸をPLS回帰(スペクトル全体と参照値の組から濃度を予測する手法)で予測した報告では、予測誤差(RMSEP)がグルコースで0.27 g/L、乳酸で0.20 g/Lでした。
小型の Ambr で作った校正モデルを10 L槽へ持ち込んだ例でも、グルコースの誤差は0.29 g/Lと同じ水準を保っています。一方、灌流培養培養液を連続的に入れ替えながら細胞を高密度に保ち、長期間生産を続ける培養方式です。細胞を装置で保持し、老廃物を除きつつ栄養を補給します。詳しく →で校正データを1バッチ分しか使わなかった報告では、グルコースの誤差が0.71 g/Lまで広がりました。
グルコースを3 g/Lほどに保つなら、0.3 g/Lの誤差は1割、0.7 g/Lなら2割を超えるため、校正データの厚みがそのまま制御の確かさに出ます。
成分による得手不得手もあります。濃度が高く信号が明瞭なグルコースは、ラマンでいちばん扱いやすい成分で、乳酸がそれに続きます。
アンモニウムの蓄積のように低濃度の成分は信号が弱く、生細胞密度や抗体濃度は、散乱や共存するタンパク質の影響をモデルがどこまで補正できるかに左右されます。そのため、グルコースは閉ループに載せ、アンモニウムや力価は傾向の監視にとどめる分け方が現実的です。
2つ目の基準は、取り返しのつきやすさです。グルコースのフィードフェドバッチで追い足す濃縮した栄養液。いつ・どれだけ・どう入れるかが生産性と品質を左右する。詳しく →は、足りなければ足せ、多すぎれば止めて消費を待てます。一方、細胞の抜き取りのように一度動かすと元に戻せない操作や、灌流速度のように培養全体に長く影響が残る操作は、推定値だけに任せる前に、オフラインでの確認を増やして慎重に進めます。
何を自動で動かすかは、モデルの確度と、間違えたときに戻せるかで決めます。
4. 静かに外れる数字 ― 止める仕組みの決め方
いちばん重い課題は装置ではなく、数字を作るモデルです。モデルは作った時点の条件に合わせてあるため、工程の条件が動くと予測が外れていきます。
外れる原因は、主に次の4つです。
- 校正の範囲外:校正データが張っていない濃度域に入ると、モデルは外挿で予測します。
- 細胞株と培地細胞を体外で生存・増殖させるために必要な栄養・エネルギー源・成長因子などを含む液体または固体の環境基盤。詳しく →の変更:細胞株が変われば散乱が変わり、培地のロットが変われば背景のスペクトルが変わります。
- プローブとレーザー:プローブを交換すれば機差が乗り、レーザーは経年で出力が落ちます。
- 泡:泡がプローブの前を通れば、その瞬間のスペクトルは別物です。
厄介なのは、外れ方が静かなことです。エラーは出ず、もっともらしい数字が出続け、その数字に従ってポンプが回ります。
測るだけの監視なら、後でオフラインの値と合わないと気づけば済みますが、制御に使うと、間違いはその場で培養に届きます。
そのため、制御ループを組むときに、止める仕組みを一緒に決めておきます。
- 送液速度の上下限:ポンプの送液速度に上限と下限を置き、推定値が極端でも1回に入れる量が決まった範囲を超えないようにします。
- モデルの範囲外での警報:スペクトルがモデルの学習した範囲から外れたら警報を出し、制御を手動に切り替えます。
- オフライン測定との突き合わせ:毎日のオフライン測定と推定値を突き合わせ、差が広がっていないかを見ます。
モデルの更新も、制御ソフトの変更と同じ重さで扱います。校正データを足してモデルを作り直せば、同じスペクトルから出る数字が変わるため、どの版のモデルでどのロットを制御したかを、記録から追えるようにしておきます。
ラマンによる制御は、工程理解に裏づけられた管理戦略の一部で、連続生産ではとくに重みが増します。

ラマンの制御で守るのは、数字の正しさそのものより、数字が外れたときに培養が巻き込まれない仕組みです。
5. 明日から確かめられること
何を自動に任せ、外れたらどう止めるかは、工程開発や設備の担当者だけでなく、培養制御システムを提案するメーカーや、制御ソフトの検証に関わる品質保証にも共通する論点です。導入を検討している場合も、すでに使っている場合も、次の順に確かめます。
- 閉ループに載せる対象:グルコースだけか、乳酸も含めるか、灌流の定常維持そのものかを決めます。
- 必要な誤差の水準:その成分で、制御の幅の1割に収まればよいのか、5%まで要るのかを決めます。
- 校正データの範囲:校正データが、実運用で振れる範囲(濃度域、細胞株、培地のロット、スケール)をカバーしているかを確かめます。
- 止める仕組み:ポンプの上下限と、モデルの範囲外での警報、手動に戻す手順が決まっているかを確かめます。毎日のオフライン測定との突き合わせを、誰が、どの差で異常と判断するかも決めます。
- モデルの変更管理工程・設備・手順などの変更を評価・承認し、品質への影響とともに記録する仕組み。詳しく →:モデルを更新するときの変更管理と、制御に使った版の記録が決まっているかを確かめます。
測る装置はラマン分光計測で、制御のソフトウェアや培養槽は培養制御システムで比べられます。Endress+Hauser の Raman Rxn2 のようにラマン専用の分析計もあれば、Sartorius の BioPAT Spectro のように培養制御システム側に組み込まれる構成もあります。富士フイルムと堀場製作所は2026年6月、抗体の精製でインラインラマンを使い、抗体濃度が最大になる回収のタイミングを見極めるシステムを発表しました。測った値で判断する用途は、培養だけでなく精製にも向けられています。
参考文献
- Berry BN, et al. Quick generation of Raman spectroscopy based in-process glucose control to influence biopharmaceutical protein product quality during mammalian cell culture. Biotechnol Prog. 2016;32(1):224-234. doi:10.1002/btpr.2205
- Gibbons L, et al. An assessment of the impact of Raman based glucose feedback control on CHO抗体など組換えタンパク質の生産に広く使われる、チャイニーズハムスター卵巣由来の培養細胞です。詳しく → cell bioreactor process development. Biotechnol Prog. 2023;e3371. doi:10.1002/btpr.3371
- Robust platform for inline Raman monitoring and control of perfusion cell culture
- Monitoring of Nutrients, Metabolites, IgG Titer, and Cell Densities in 10 L Bioreactors Using Raman Spectroscopy and PLS Regression Models
- A Novel Approach for Non-Invasive Continuous In-Line Control of Perfusion Cell Cultivations by Raman Spectroscopy
- Application of in-line Raman spectroscopy for enhanced biopharmaceutical manufacturing insights
- Endress+Hauser, Raman Rxn2 analyzer
- 1連続生産とプロセス強化とは?全部つなぐ前に決めること
- 2PATとリアルタイム工程制御とは?連続生産を動かす頭脳
- 3工程内センサーの応答時間とは?値が合っていても制御が振れる理由
- 4ラマン分光によるバイオプロセスPATとは?強みと導入前の落とし穴
- 5滞留時間分布(RTD)とは?連続生産で異常をどこまで捨てるか
- 6抗体の連続精製(PCC/MCC)とは?樹脂を使い切る仕組みと導入の判断
- 7ソフトセンサーとデジタルツイン:現場で動くものと研究段階のもの
- 8Ramanで培養を制御する:任せてよい範囲と止め方いま読んだ記事
- 9高力価の連続捕捉、条件を計算で決める:予測との差は最悪7%未満
- 10連続精製のPAT総説:数値を返す計測と、傾向だけの計測
- 11ラマンとAIで大腸菌発酵の力価が3.3倍に?論文で分かったこと
次に読む
抗体医薬この分野の解説記事を、まとめて見る(308本)この記事に関連する工程
この分野の新着を、メールで受け取る
こうした製造・分析・品質の解説記事と、装置・試薬の新製品ニュースを毎週水曜の朝にお届けします。登録は無料で、いつでも解除できます。
登録によりプライバシーポリシーに同意したものとみなします。閲覧の記録(どのページから、どの会社のサイトへ移ったか)を、ご案内のために使います。
目次・関連閉じる
- 1連続生産とプロセス強化とは?全部つなぐ前に決めること
- 2PATとリアルタイム工程制御とは?連続生産を動かす頭脳
- 3工程内センサーの応答時間とは?値が合っていても制御が振れる理由
- 4ラマン分光によるバイオプロセスPATとは?強みと導入前の落とし穴
- 5滞留時間分布(RTD)とは?連続生産で異常をどこまで捨てるか
- 6抗体の連続精製(PCC/MCC)とは?樹脂を使い切る仕組みと導入の判断
- 7ソフトセンサーとデジタルツイン:現場で動くものと研究段階のもの
- 8Ramanで培養を制御する:任せてよい範囲と止め方
- 9高力価の連続捕捉、条件を計算で決める:予測との差は最悪7%未満
- 10連続精製のPAT総説:数値を返す計測と、傾向だけの計測
- 11ラマンとAIで大腸菌発酵の力価が3.3倍に?論文で分かったこと
Proglenth(proglenth.com) https://www.proglenth.com/article/raman-inline-feedback-control-application