ゲノム最小化とは?削った微生物は製造でどこまで使えるか

大腸菌 K-12 MG1655 のゲノムは4,641,652塩基対DNA二本鎖において互いに水素結合で対をなすヌクレオチドの単位で、DNA断片の長さを表す基本単位として使われる。詳しく →あり、4,000を超える遺伝子が載っています。ところが実験室の培地細胞を体外で生存・増殖させるために必要な栄養・エネルギー源・成長因子などを含む液体または固体の環境基盤。詳しく →で育てるだけなら、なくても生きられる遺伝子が大半です。土の中や腸の中で生き延びるための備えは、培養槽では使われないまま、細胞の資源を食い続けます。この備えを外した宿主が、ゲノム最小化株(genome-reduced strain)です。
では、削れば生産が上がるのか。報告を並べると、生産量が伸びた株はありますが、製造でいちばん確かな利点として示されたのは、ゲノムの中を動き回る配列を外して、組換え遺伝子が壊れにくくなったことでした。一方で、36%まで削った枯草菌は増殖が遅くなり、コリネ型細菌では、バッチで有望に見えた株が流加培養培養の途中で栄養(フィード)を追加しながら細胞を高密度まで育てる培養方式。詳しく →で逆転した例もあります。
何を削るのか ― プロファージ、IS、使わない経路
まず外れるのは、プロファージです。ゲノムに入り込んだウイルスの残骸で、条件がそろうと活性化して細胞を壊します。
次が挿入配列(IS)やトランスポゾンです。ゲノムの中を動き回り、ときどき目的の遺伝子に飛び込んで壊す、動く配列です。そのあとに、培地にある栄養を自前で作る経路、使わない糖の分解系、べん毛が続きます。培養槽の中で泳ぐ必要はありませんが、細胞はべん毛を作るために、アミノ酸とATPを使います。
この中で製造にいちばん効くのはISです。動く配列を外すと、株が変わりにくくなります。
削除の目的は機能を減らすことではなく、ゲノムが自分で書き換わる余地を減らすことです。
どこまで来たか ― 削った株の一覧
削った株を年代順に並べると、どこまで削れたか、何が返ってきたかが分かります。
| 株(報告年) | 宿主 | 削った量 | 報告された結果 |
|---|---|---|---|
| MDS42(2006) | 大腸菌 | 約14%(663 kb) | 動く配列(IS)が残っていない。普通の株で不安定な組換え遺伝子が保たれる |
| MGF-01(2008) | 大腸菌 | 約22%(1.03 Mb) | 最少培地での菌体密度が約1.5倍、L-スレオニンの生産が約2.4倍 |
| MGB874(2008) | 枯草菌 | 約20%(874 kb) | セルラーゼ活性が約1.7倍、プロテアーゼが約2.5倍 |
| PG10(2017) | 枯草菌 | 約36% | 増殖が遅くなり、細胞が分離せず糸状に育つ |
| C1*(2018) | コリネ型細菌 | 約13%(412遺伝子) | 野生株並みの増殖を保った |
| JCVI-syn3.0(2016) | 合成した細菌 | 1,079 kbから531 kb | 残り473遺伝子のうち149は機能不明 |
MDS42は、生産量を上げる株というより、壊れにくい器として設計された株です。この株を土台にした市販株が、Scarab Genomics の Clean Genome E. coli で、メーカーによれば、ISと潜在プロファージを持たない株で、プラスミドDNAや組換えタンパク質遺伝子組換えで微生物や細胞に作らせた目的タンパク質。宿主により折りたたみやコスト、糖鎖が異なる。詳しく →の生産用に売られています。使うには限定ライセンスの契約が要ります。
数字が動いた株もあります。MGF-01は、最少培地での菌体密度と、スレオニンの生産が伸びました。枯草菌のMGB874では、培養液中の酵素の活性が上がっています。削った分が自動的に目的物へ回るとは限りませんが、大腸菌でも枯草菌でも数字が動いたことは、削る価値があることを示しています。
さらに削ると代償が出ます。枯草菌のPG10は、約36%を削った代わりに増殖が遅くなり、細胞が分離しないまま長い糸状でしか育ちませんでした。のちに別の研究が、遺伝子flgMを外すと糸状の増殖が解けることを示しています。コリネ型細菌のC1*は約13%の削減にとどめ、野生株並みの増殖を保ちました。
下限を実験で探した例が、JCVI-syn3.0です。化学合成した1,079 kbのゲノムから、設計、合成、試験を繰り返して531 kbまで落としました。残った473の遺伝子のうち149は、何をしているのかいまだに分かっていません。必須の遺伝子の約3割が機能未知のままで、削れない理由を説明できない、ということです。
製造の現場に戻せば、含意は単純です。必須と非必須の線は、培地と温度と槽の大きさで動きます。
ある条件で非必須だった遺伝子は、その条件の外でも非必須とは限りません。
いま動いている研究もあります。2026年9月には、事前の知識に頼らず、多数の系統を並行して削る手法SLIMを報告したプレプリントが公開されました。査読を経ていない段階の報告です(細菌のゲノムを手当たり次第に削る手法SLIM)。
削りすぎの代償 ― 増殖の遅れと、バッチと流加の逆転
削除の限界は、削った直後ではなく、条件を変えたときに見えます。
コリネ型細菌のゲノム縮小株22種類を、タンパク質(クチナーゼ)の分泌量で比べた研究があります。バッチ培養では、菌体あたりの収量が約200%増えた株がありました。その株は増殖速度が約60%落ちており、流加培養に移すと、参照株より収量が約25%低くなりました。バッチで有望だった順位が、流加で逆転したのです。
ほかに起こりうることもあります。熱や浸透圧溶液中の溶質濃度で決まる、水を引き込む圧。培養では上昇が細胞ストレスになる管理項目。詳しく →、pHの振れに対する備えを外した株は、実際の培養槽のゆらぎに弱くなる可能性があります。大型槽では混合に時間がかかり、細胞は槽の中を回りながら、酸素も糖もpHも違う場所を通ります。研究室の均一な環境で成立した株が、この往復に耐えるとは限りません。微生物発酵のスケールアップや、酸素供給が限界に近づく高密度培養では、なおさらです。
削除の是非は、均一な小型槽の結果だけでは決められません。
製造での価値 ― 変わりにくさと細胞バンク
生産性の倍率に目が行きますが、製造で効くのは別のところです。
ロット間のばらつきが減れば、比較可能性の議論が軽くなります。使わない経路がなければ、培地と供給の設計で考える分岐も減ります。表層の構造や特定のタンパク質を削れば、宿主由来の不純物の顔ぶれが変わり、精製が楽になることもあります。
長時間の連続培養では、生産の負荷を捨てた変異体のほうが増殖で有利になり、時間とともに生産性が落ちていきます。動く配列がなければ、この進行が遅くなることが期待されます。
細胞バンクの側では、ICH Q5Dが、マスターセルバンク製造の起点となる細胞を段階的に均質に凍結保存した在庫(マスター/ワーキングセルバンク)。詳しく →から生産の終わりの世代まで、構築した株が遺伝的に安定であることを示すよう求めています(細胞バンク、株の構築と細胞バンク)。削った株の同一性を示すいちばん確かな手段は、配列そのものです。狙った領域が消えているだけでは足りず、削除の過程で別の場所に変異が入っていないかを、全ゲノムで確かめます。受託の選択肢は微生物 MCB/WCB作製・保管受託の製品ページで比べられます。
明日から確かめられること
開発の担当なら、削る目的を先に決めます。生産性を上げたいのか、変わりにくさが欲しいのか。前者は代謝の枝を落とす話になり、後者はISとプロファージだけを外す話です。MDS42とMGF-01が別の株として並んでいるのは、この目的が違うからです。
市販のゲノム最小化株を使うなら、購買や品質保証の担当が、株の由来と全ゲノム配列の資料、ライセンスの条件を確かめます。
ゲノム最小化株の確認チェックリスト
- 目的は生産性か、変わりにくさか
- 削る前の株の配列を確定したか(手元の株が公開配列と同じとは限らない)
- ISとプロファージだけの段階で、いったん止めて評価したか
- 段階ごとに株を残し、崩れたときに戻れるか
- 削った株を全ゲノムで読み、意図しない変異がないことを確かめたか
- 小型のバッチだけでなく、流加培養と、槽の大きさによる揺らぎを想定した条件で評価したか
微生物宿主の選び方の全体は微生物の宿主・発現系の選び方で、プラスミド大腸菌の中で複製・増幅させる環状DNA。核酸医薬やベクター製造の伝統的な出発材料。詳しく →DNAの発酵で宿主株をどう選ぶかはプラスミドDNAの製造工程で読めます。
参考文献
- Hutchison CA 3rd, Chuang RY, Noskov VN, et al. Design and synthesis of a minimal bacterial genome. Science. 2016;351(6280):aad6253.(JCVI-syn3.0。1,079 kbから531 kb、473遺伝子、149が機能不明)
- Pósfai G, Plunkett G 3rd, Fehér T, et al. Emergent properties of reduced-genome Escherichia coli. Science. 2006;312(5776):1044-1046.(MDS42)
- Mizoguchi H, Sawano Y, Kato J, Mori H. Superpositioning of deletions promotes growth of Escherichia coli with a reduced genome. DNA Res. 2008;15(5):277-284.(MGF-01)
- Morimoto T, Kadoya R, Endo K, et al. Enhanced recombinant protein productivity by genome reduction in Bacillus subtilis. DNA Res. 2008;15(2):73-81.(MGB874)
- Reuß DR, et al. Large-scale reduction of the Bacillus subtilis genome: consequences for the transcriptional network, resource allocation, and metabolism. Genome Res. 2017;27(2):289-299.(PG10。約36%の削減)
- Unchaining mini Bacillus Strain PG10: Relief of FlgM-Mediated Repression of Autolysin Genes(PG10が糸状に育つ原因と、flgM欠失による解消)
- Baumgart M, et al. Corynebacterium glutamicum Chassis C1*: Building and Testing a Novel Platform Host for Synthetic Biology and Industrial Biotechnology. ACS Synth Biol. 2018.(C1*。13.4%、412遺伝子)
- Screening of a genome-reduced Corynebacterium glutamicum strain library for improved heterologous cutinase secretion. Microb Biotechnol. 2020.(22株のスクリーニング、バッチと流加の逆転)
- Scarab Genomics, Clean Genome E. coli(MDS42由来の市販株。製品情報)
- ICH Q5D生物薬品の製造に使う細胞基材の樹立と特性解析について定めた国際調和ガイドライン。詳しく →, Derivation and Characterisation of Cell Substrates Used for Production of Biotechnological/Biological Products
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